掲載時肩書 | フランス文学者 |
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掲載期間 | 1991/03/01〜1991/03/31 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1902/10/04 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 89 歳 |
最終学歴 | 京都大学 |
学歴その他 | 三高、東京大学入学し転学 |
入社 | 関西大学 |
配偶者 | 大阪娘 |
主な仕事 | 京大に転学、パリ、東京、キューリー夫人訳、立教大学、日本出版会、新潮社、東京教育大、共立女子大 |
恩師・恩人 | 落合太郎 教授、辰野隆教授 |
人脈 | 与謝野晶子近所、奥村綱雄、吉川幸次郎、桑原武夫・三好達治(1下)、谷川徹三、三木清、小林秀雄、渡辺紳一郎、今日出海 |
備考 | ソルボンヌ留学 |
1902年10月4日 – 2000年3月27日)は大阪堺生まれ。フランス文学者・評論家。1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共訳。1931年、杉捷夫の世話で立教大学教授に就任し、1943年までフランス語を教える。1943年、随筆『新釈女大学』がベストセラーとなる。戦後は東京教育大学教授、共立女子大学教授を歴任、フランス・モラリストを汲んだ著作を多く出した。
1.東大仏文科から京大仏文科に転学
関東大震災が原因で、文部省から東大の開校がいつになるかわからないから、この際、他の国立大学に移りたい学生には転学を許すという発表が大正12年(1923)にあった。大地震後の荒廃した町で勉強する意欲を失った私は、東京の友人には全く相談しないで京大に転学を決めてしまった。この転学は当時それほど重大に考えていなかったが、その後の私の人生行路に重大な結果をもたらすことになった。
私はこの転学によって、仏文学界に於いて、東大と対立する陣営に属することになったのである。それ程、仏文学界における先生たちの対立は厳しかったのである。私の転学を聞いて、あの男は非常な野心があるそうじゃないかと言った先生があったと風の便りで聞いた。しかし本当はむしろその反対であった。私は東大仏文科に入学して、仏文学の研究を志望する学生のあまりに多いのに、びっくりしたのである。
2.吉川幸次郎君
京大に転学して私が吉川君を知ったのは、鈴木虎雄先生の唐詩の講義に毎週出席していたからである。また私と同じく、彼も仏文科の授業に精勤してフランス語の勉強に熱心だった。それはシナ学の研究では昔からフランスに偉い学者が沢山いたからである。それに吉川君は英語もよくできて、語学の天才であったから、フランス語にもたちまち上達した。京都大学に転学しても友人の少ないのを嘆いていた私は、吉川君と話を聴くようになってからたちまち親しくなった。
吉川君は本が好きで、学生に似合わない大した蔵書家であった。中国から取り寄せたたくさんの詩集でぎっしりと詰まった書棚の前で、唐宋の詩人についてテキストを広げて、一々講釈しながら教えてくれる詩談は時間を忘れるほど私にとって大きな魅力であった。私自身も本が大好きで、蔵書の豊富なのを自慢していたので私の下宿にも吉川君はたびたび遊びに来てくれた。
3.辰野隆先生
昭和5年(1930)、3度目のパリ祭を迎えた後、シベリア経由で帰国した。父親が脳梗塞で右半身不随になっていた。帰国後私が第一に考えたのが、就職口を見つけることだった。京都の落合太郎教授をお訊ねし、就職の相談をすると、先生は「君は東京へ行く方が良い。天野貞祐も同じ意見だ」と言われた。私は天野先生までが私のことを心配して下すったことに感激した。「しかし東京は辰野(隆)の勢力圏だから、ぼくから手紙を書いてよく頼んでおくから、すぐ東京へ行って、辰野に会い給え」と言ってくださった。
私は一旦東大に入学しながら京都へ転学したという負い目があるために、辰野先生のお宅へ伺うのは敷居が高かったが、私の三高の友人が4、5人東大仏文科に入学しているので、それを頼りにして、早速上京することにした。
辰野先生は上機嫌で私を引見してくださって、最近のパリ劇場の消息などをいろいろおききになった。そのあとで、落合君から君のことで長い手紙を貰ったが、フランス語の教師の口を探している人間は、うちの卒業生の中にもどっさりおり、めぼしい所はみな立派な先生がいて、当分、見込みがないから、ほかの仕事をした方が良い。君の方で何かいい口を見つけたら、いつでも力になってあげるから、というとてもご親切なお言葉だった。辰野先生はそれからもいろいろお心をおかけくださり、小林秀雄、三好達治、今日出海、中島健藏など一高出身の多くの仲間をご紹介くださった。
河盛 好蔵 かわもり よしぞう | |
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1956年頃撮影 | |
誕生 | 1902年10月4日 大阪府堺市 |
死没 | 2000年3月27日(97歳没) |
職業 | フランス文学者 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | フランス文学 |
主な受賞歴 | 読売文学賞(研究・翻訳賞)(1962年) 勲三等旭日中綬章(1973年) 大佛次郎賞(1978年) 菊池寛賞(1985年) 文化勲章(1988年) 読売文学賞(随筆・紀行賞)(1997年) |
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河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者、評論家、翻訳家。 仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。