武蔵川喜偉 むさしがわ よしき

スポーツ

掲載時肩書日本相撲協会前理事長
掲載期間1974/03/27〜1974/04/23
出身地東京都
生年月日1909/03/01
掲載回数28 回
執筆時年齢65 歳
最終学歴
中学校
学歴その他府立3中
入社11歳出入り
配偶者入婿相 撲茶屋
主な仕事15歳入門、5年で関取、前頭筆頭で引退、年寄、力士(戦前1000→戦後222)、蔵前国技館、ブラジル、協会大改革、ソ連、理事長、訪中
恩師GHQエンゼル氏
人脈天竜(付き人)、佐田の山(娘婿)、郭沫若(居住)、出羽海割腹、時津風理事長、荘則楝
備考出羽ノ花 (武蔵川)
論評

1909年3月1日 – 1987年5月30日)は東京都生まれ。元大相撲力士。1925年1月場所で「出羽ノ子」という四股名で初土俵を踏む。1930年5月場所に十両昇進を果たすが、1932年1月に勃発した春秋園事件によって、一度幕下へ降格していながら抜擢されて一気に新入幕を果たす(同期入幕に双葉山定次がいた)。現役引退後は年寄・武藏川を襲名し、武藏川喜偉と名乗る。戦前の巡業で満州へ遠征した際に、日本相撲協会が勧進元に対して言い値をそのまま支払う様子を見て愕然とし、経済学や簿記・経理、算盤を学んで協会の財政運営に貢献した。算盤はプライドを捨てて幼児に交じって習ったという。現役時代は大きな活躍が無かった出羽ノ花だが、これ以降は協会の金庫番・知恵袋としての大活躍を見せた。

1.新弟子は、けいこより使い走り
15歳で出羽海部屋に入門した。初めのうちはけいこより、関取衆や兄弟子の使い走りが多かった。関取衆には芸者など、仲のいい女性がいるので、恋文を新橋の芸者に届ける役をやらされる。そのお陰で小遣いには不自由しなかった。また、夜になると兄弟子の質入れに行かされた。これが無理難題で、ゆかた一枚、それも破れたもので1円借りてこいという。仕方がないから、メシを練って張り、破れたところをわからないようにして、暗くなってから質屋に行った。質屋のおやじをうまくごまかしたが、あとで明るい所で見れば、破れているのが見つかり、ずいぶんとっちめられた。

2.年寄襲名しての仕事(力士引退で)
初仕事は師匠(六代目出羽海)から地方興行の責任者を言いつけられた。全く何も知らずにこれに取り組んで、何とか成功させた。私はこの体験で相撲界の古さと、自分が無知であることをいやというほど知らされた。以後、私は職人が丸太を組み、テントを張る場合にも目を離さず、話していることも耳を傾けて勉強した。後には、設計や、材木、鉄骨などの必要量の計算なども専門家の手を借りずに出来るようになった。
 簿記を習ったのもこのころである。昭和16年(1941)、当時は毎夏満州の大連巡業に行った。この巡業は長いので準備から後始末まで二か月ぐらいかかる。この期間を利用して大連市内にある珠算、簿記の私塾へ夕食の終わる8時半ごろから11時半まで、通ったのである。学生や女の子ばかりの中に、相撲取り上りの三十男が混じっているのは珍妙な光景だったことだろう。

3.相撲協会の大改革
出羽海理事長割腹自殺未遂というショッキングな事件のほとぼりも収まらない昭和32年(1957)5月から、相撲界の大改革に取り掛かった。
まず、茶屋制度である。この制度の改組とさじき席の一般への開放だった。茶屋は一般社会で言えば、営業の先兵だ。「従来の茶屋を通じての切符販売方法は廃止できない。ただし茶屋の利益を相撲協会へ還元させるようにする」として、私は現在の相撲サービス株式会社を作った。売上の15%が相撲協会に入り、協会分より多くない額をサービス会社の利益として、売り上げに応じて配分することにした。
ついで月給制を取り入れた。これがこの時の改革で一番大きなものだ。私は一般企業や三公社五現業の給料実態を調べ、基準となる幕内力士の月給を7万円と決めた。これは一般社会では係長と課長の間ぐらいだった。そして横綱22万円、大関17万円、関脇・小結11万円、十両5万5千円とした。他に古くから行われていた給金制度を褒奨金として残した。
気が一番重かったのは定年制である。行司、年寄は65歳、若い者頭、世話人、呼び出し、床山、協会事務員は55歳を定年とするものである。当時出羽海前理事長(元常の山)は61歳、春日野取締(元栃木山)が65歳だった。二人とも私にとっては師匠に当たる人であり、公私ともに非常にお世話になった人だ。恩を仇で返すのか、ぐらいは言われるものと覚悟して、私はまずこの両師匠を説得した。春日野取締は、一瞬唖然とした表情で、私の顔をじっと見つめたが、何も言わなかった。

出羽ノ花 國市Sumo pictogram.svg
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基礎情報
四股名 出羽ノ花 國市
本名 市川 國一(旧姓:駒澤)
愛称 蔵前の陰の天皇・相撲界の今太閤
相撲界の代議士
生年月日 1909年3月1日
没年月日 (1987-05-30) 1987年5月30日(78歳没)
出身 石川県能美郡(現:石川県小松市)
(出生地は東京都江東区)
身長 173cm
体重 110kg
BMI 36.75
所属部屋 出羽海部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 東前頭筆頭
生涯戦歴 96勝104敗47休(24場所)
幕内戦歴 68勝77敗47休(16場所)
データ
初土俵 1925年1月場所
入幕 1932年1月場所
引退 1940年5月場所
引退後 第4代日本相撲協会理事長
備考
2015年9月2日現在

出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 - 1987年5月30日)は、石川県能美郡(現:石川県小松市)出身(出生地は東京都江東区)の元大相撲力士。本名は市川 國一(いちかわ くにいち)(旧姓:駒澤)。

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