村松梢風 むらまつ しょうふう

文芸

掲載時肩書作家
掲載期間1956/08/09〜1956/08/18
出身地静岡県
生年月日1889/09/21
掲載回数10 回
執筆時年齢67 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他
入社通信社
配偶者22歳で結婚
主な仕事小中学の恋愛履歴、吉原遊蕩「廓の雨」、通信社記者、 「浅妻双紙」
恩師滝田樗陰
人脈窪田空穂、尾崎一雄、吉野作造
備考孫・村松友視
論評

1889年(明治22年)9月21日 – 1961年(昭和36年)2月13日)は静岡県生まれ。小説家。戦前は多くの時代小説等を執筆。戦後も多くの時代小説や伝記小説を執筆・連載した。代表作として『近世名勝負物語』『正伝清水次郎長』『女経』などが知られる。実証的な手法に裏付けられた評伝作品に、卓越した腕をふるった作家として知られる。また明治期の歌舞伎俳優・二代目尾上菊之助を描いた『残菊物語』は、戦前の溝口健二以降三度映画化され、舞台でもしばしば上演された代表作である。文筆一族で知られ、長男・村松友吾は中央公論社編集者(早世)、次男・村松道平は脚本家、三男村松喬は毎日新聞記者のち作家、四男・村松暎は慶大教授・中国文学者、孫は作家村松友視。氏はここで女の履歴書を披露された。

1.処女作
私の履歴書はどうやら恋愛履歴書になりそうである。どうせ人生の長丁場を30枚には書ききれない。恋愛履歴にしぼることにする。中学3年くらいのときである。多分暑中休暇で帰省している時、家のごく近くで向こうから歩いてくる一人の女に逢った。それは私の父が町に住まわせている父のめかけだった。以前父が贔屓にしている料理屋に芸者か女中で住み込んでいたのを、いまでは所帯を持たせているのだった。
 私の父は道楽者で、まだ独身の若いころ親(私の祖父)の金を持ち出して東京へ来て柳橋で遊蕩に耽り、金がなくなるとナスのシギ焼を自分で焼いて、浅草辺を売って歩いたという洒落者であった。私が放蕩児になったのも多分に父の遺伝である。私は後に、24,5歳の時、父のこのめかけのことを題材にして自然主義風の短編を書いて窪田空穂氏がやっていた「国民文学」に処女作として載せてもらった。

2.放蕩して都会人になろう
私が20歳の春、父は脳溢血で死んだ。私はその前年中学を終えると上京して私立大学の予科へ入っていたが、父に死なれると、郷里の家に帰って暮らさなければならなくなった。徴兵検査が終わった翌年22歳で結婚した。そして翌年は長男が生まれた。私は農村の生活をするように運命づけられているのかと初めは観念していたが、やがてそれに耐え切れなくなって東京に飛び出した私は文学を志した。
 私は何よりも田舎者から都会人にならなくてはならなかった。私が下宿した場所は芝の神明の宿屋であった。ここはその頃東京で江戸情緒をたたえた場所だった。浅草ほどの大規模ではないが、濃厚な情緒を漂わせていた。毎夜のごとく、吉原、洲崎、品川という場所を遊び歩いた。

3.吉原が題材
私は吉原の大文字楼という見世へ足繫く通った。当時𠮷原には仲の町の茶屋受けをする(茶屋からお客を連れていく制度)いわゆる大見世の楼が3軒あった。京町の角海老、角町の稲本、江戸町一丁目の大文字の3軒である。その時分の玉代は大見世で2円20銭、いろいろ入れて5円あればまあ遊べた。たいそう安いようだが、その頃米1俵(4斗2升)5円か6円だったから、そう無茶に安いというものでもない。
 角町の稲本楼に稲葉という花魁がいた。稲葉は驚くべき美人だった。強いて欠点を探せば声が良くなかった。その他は満点、気品といい、美貌といい、肉体といい、昔の高尾に劣るまいと思われた。おまけに閨房の勤めとくると、女郎離れしていて、歓喜仏の出現を思わせ、女の要求に応じきれないくらいだった。私は稲葉の身の上話を聞いたが、それだけでも小説になると思った。
 私は毎晩通いながら、一日に5,6人の客がある忙しい稲葉の身の上話を少しずつ聞いた。実に伝奇的な話であった。私は半分くらい聞いた時分からそれを小説ふうに書き始めた。そして2週間後に書き上げた。そして「浅妻双紙」という私の長編読物は中央公論9月倍大号の説苑の巻頭に載せられ、新聞広告では吉野作造のデモクラシー理論と並んで2つの柱となった。それで一応作家として認められたのだった。私は女の履歴書を書いた。それもここで一段落である。他に特筆すべき履歴も無いようである。

村松 梢風
誕生 村松 義一(むらまつ ぎいち)
1889年9月21日
静岡県周智郡飯田村(現:森町
死没 (1961-02-13) 1961年2月13日(71歳没)
職業 小説家
国籍 日本の旗 日本
代表作残菊物語
子供 村松友吾(長男)
村松喬(三男)
村松暎(四男)
村松友視(孫、籍上は五男)
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村松 梢風(むらまつ しょうふう、本名:村松 義一(むらまつ ぎいち)、1889年明治22年)9月21日 - 1961年昭和36年)2月13日)は、日本の小説家静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。作家村松友視の祖父。

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