杉村隆 すぎむら たかし

医療

掲載時肩書国立がんセンター総長
掲載期間1993/11/01〜1993/11/30
出身地東京都
生年月日1926/04/20
掲載回数29 回
執筆時年齢67 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他府立武蔵高
入社癌研
配偶者研究助手
主な仕事生化学、フルブライト留学、コエンザイムQ、がん センター、化学発がん、対がん10年戦略、
恩師中原和郎 吉田富三
人脈山田耕筰(母・学友)、落合英二、長尾美奈子、赤堀四郎、高松宮妃殿下
備考父・警察官僚
追悼

氏は‘20年9月6日、94歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は1993年11月で67歳のときでした。氏の履歴書には、母親が東京音楽学校(現東京芸大)の器楽科でピアノを学んだ。そのときの同級生が山田耕筰氏で、母は卒業後も親しく山田氏に支援していただいたと書いている。

ビキニの水爆実験と放射能
昭和29年(1954)の米国によるビキニ岩礁での水爆実験では、南太平洋産の魚が放射線科に持ち込まれてきた。大きな魚の胃を見ると中ぐらいの魚がたくさん入っている。魚のほとんどはかなり高い放射能を持っていた。また、その時にビキニで被爆した第五福竜丸の乗組員の方の毛髪が研究室に届き、X線写真のフイルムに挟んで一晩おいたところ、そのままの形でフィルムに写っていた。相当な放射能が毛髪にあったことを示している。

がん研究の動機
私がガンの研究に入ったのは、最初に担当した進行ガンの患者さんに対し無力であったという思いのほか、ガンが極めて生物学的な病気だということもある。細胞レベル、分子レベルでその生物学を研究しなければ、征服できない病気である。もともと生物学に強い関心を抱いていた私は、医学の中でも最も生物学的な分野へと傾斜していった。

科学と社会
1949年ごろ、DDT,BHCなど強力な殺虫剤が販売禁止された。殺虫剤でガンになる人が救われる一方で、蚊が増えてマラリアの患者も増える。極端な話をすれば、百万人に一人の確率のガンを予防することには熱心な人も、その陰でマラリアによる死者が増えていく現実に目をつぶる。これは明らかな矛盾である。また、植物の色素であるフラボイドなどは、微生物に対する変異原性はあるが、発ガン性はない。変異原性に重点を置いて発ガン性を評価するのが、いつも正しいとは限らない。この時に感じたたくさんの問題点が、後の化学発ガンに関する一連の研究に繋がっていく。

遺伝子に標的を絞る
ガンの分子レベルの解析は、がん遺伝子やガン抑制遺伝子など、遺伝子自体にターゲットが移っていった。細胞自身が内部に抱えている遺伝子にガン化の秘密が隠されている。昭和56年(1981)に第3回国際環境変異原学会を、東京で開き会長を務めた。このころから化学発ガン物質だけでなく、ガン遺伝子の研究になるという予感があった。私は昭和59年に石川総長の後任として、国立がんセンター総長になった。この潮流が、がん遺伝子の研究を中核とする「対ガン10か年戦略」のスタートにつながったのである。

すぎむら たかし
杉村 隆
日本学士院により公表された肖像写真
日本学士院により
公表された肖像写真
生誕 杉村 隆(すぎむら たかし)
1926年4月20日
日本の旗 東京府
死没 (2020-09-06) 2020年9月6日(94歳没)
日本の旗 東京都
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
研究分野 医学
研究機関 東京大学
癌研究会
アメリカ国立癌研究所
ウエスタンリザーブ大学
国立がんセンター
東邦大学
出身校 東京大学医学部卒業
博士課程
指導教員
中泉正徳
主な業績 実験発がん研究
Poly (ADP-ribose)の発見
主な受賞歴 恩賜賞
日本学士院賞
日本国際賞
プロジェクト:人物伝
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杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 2020年9月6日)は、日本医学者生化学腫瘍学)、医師位階従三位勲等勲一等学位医学博士東京大学1957年)。国立がんセンター名誉総長東邦大学名誉学長国立がん研究センター名誉総長、日本学士院会員文化功労者

東京大学医学部助手財団法人癌研究会癌研究所研究員、国立がんセンター研究所研究員、国立がんセンター研究所生化学部部長、国立がんセンター研究所所長、国立がんセンター総長、東邦大学学長日本学士院院長などを歴任した。

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