日野原重明 ひのはら しげあき

医療

掲載時肩書聖路加看護大学学長
掲載期間1990/09/01〜1990/09/30
出身地山口県
生年月日1911/10/04
掲載回数
執筆時年齢79 歳
最終学歴
京都大学
学歴その他三高
入社大学院
配偶者クリスチ ャン
主な仕事KG中、聖路加HP、39歳米留学、半日ドック、よど号、健康管理財団、全人医療、ホスピス、
恩師W・オスラ ー博士
人脈永井柳太郎(KG)、沖中先生、笹川良一、
備考父:牧師広 島女学院
追悼

先生は’17年7月18日105歳で亡くなった。若い人からも年齢の高い人からも尊敬を受け、愛された人だった。日経の「私の履歴書」に登場したのは1990年9月で79歳のときであった。その初日の冒頭に次のように書いている。

「人は死すべきものである。この自明の理を前に、医学はどれほどのことをなしてきたか。内科医となって53年近くの長い間、多くの人の死に立ち会った。その挙句、私が考えるのは、人間の終末が何と不幸なことか、という事実である。ガン末期にみる血圧低下やショック、心停止の場合に、蘇生術や気管内挿管をするのは、かえって患者の最期を苦しめ、生命の尊厳に逆らうことになると私は思う。治る見込みのない病人の命を、高度のテクノロジーでただゴムひものように長く引き延ばすよりは、残されたいくばくかの短い命を心豊かに過ごせるように、最後のケアをしてあげることが最も必要なことでないだろうか。」
主治医であった聖路加病院の福井次矢院長が日野原先生に「経管栄養を提案したが、先生は明確に「やらない」とおっしゃった」と記者会見で述べている。日野原先生はご自身の医療観を全うされたのだった。

先生は両親とも敬虔なクリスチャンで本人も7歳で受洗している。父親が関西学院の神学部教授の関係で関西学院の中等部に入学し、建学の精神「Mastery for Service」(奉仕の精神をマスターする)を叩き込まれたという。同門会の講演会には優先的に来てくださり、年齢の高い後輩たちに次のように励ましてくれた。「60歳から75歳はヤングシニア、76歳から90歳までがミドルシニア、91歳以上がオールドシニアです。みなさんはまだ、ヤングかミドルの人が多いのですから、建学の精神を忘れず「奉仕の精神で社会貢献してください」と。そして私は今98歳ですが、103歳まで人様のお役に立ちたいスケジュールが決まっています。これが終わるまで死に切れませんと言ってみんなを笑わせた。ユーモアがあり人を包み込むような温かみのある人でした。みんなから愛されたゆえんでした。

日野原 重明
駐日アメリカ合衆国大使公邸にて(真ん中、2013年5月撮影)
人物情報
全名 日野原 重明
生誕 (1911-10-04) 1911年10月4日
日本の旗 日本 山口県吉敷郡下宇野令村
(現:山口市
死没 (2017-07-18) 2017年7月18日(105歳没)
日本の旗 日本 東京都世田谷区
呼吸不全
出身校 京都帝国大学
配偶者 日野原静子
両親 日野原善輔(父)、日野原満子(母)
学問
学位 医学博士 (MD, PhD)[1]
主な受賞歴 従三位
勲二等瑞宝章
文化勲章
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日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44年)10月4日 - 2017年(平成29年)7月18日[2][3])は、日本医師医学者位階従三位学位医学博士京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。

京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを歴任した。

  1. ^ Shigeaki Hinohara, Doctor of Science”. McMaster University (2001年11月6日). 2018年4月21日閲覧。
  2. ^ 【日野原重明さん死去】延命治療拒否…「望ましい人生の終え方を実践した」 聖路加・福井院長会見(1/2ページ)”. 産経ニュース (2017年7月18日). 2020年7月21日閲覧。
  3. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「asahi20170718」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
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