川又克二 かわまた かつじ

輸送用機器・手段

掲載時肩書日産自動車社長
掲載期間1963/09/10〜1963/10/08
出身地茨城県水戸
生年月日1905/03/01
掲載回数29 回
執筆時年齢56 歳
最終学歴
一橋大学
学歴その他東京高商
入社興銀
配偶者
主な仕事日本曹達(出向)広島支店長、日産重工業、日産(日本産業):日本水産、日本油脂、日産化学、 日立製作所
恩師
人脈中山素平・朝海浩一郎・日高輝(同期)鮎川義介(義弟・久原房之介)
備考
かわまた かつじ
川又 克二
生誕 (1905-03-01) 1905年3月1日
日本の旗 日本 茨城県
死没 (1986-03-29) 1986年3月29日(81歳没)
国籍日本の旗 日本
民族日本人
出身校東京商科大学(現・一橋大学
職業実業家
活動期間20世紀
活動拠点日本興業銀行
日産自動車
経団連
日経連
肩書き日産自動車中興の祖

川又 克二(かわまた かつじ、1905年明治38年)3月1日 - 1986年昭和61年)3月29日)は日本実業家日産自動車中興の祖として知られ[1]、同社の社長や会長、日本自動車工業会初代会長、経団連副会長、日経連副会長などを歴任した[2]

  1. ^ <ゴーン事件の底流>(7)企業体質 「独裁者」繰り返す歴史東京新聞2018年12月18日
  2. ^ 川又 克二20世紀日本人名事典
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