小田稔 おだ みのる

学術

掲載時肩書理化学(研)理事長
掲載期間1990/02/01〜1990/02/28
出身地北海道
生年月日1923/02/24
掲載回数27 回
執筆時年齢67 歳
最終学歴
大阪大学
学歴その他台北高
入社菊池実験物理研 験物理
配偶者自転車デート
主な仕事海軍研究所、MIT、原子核研、すだれコリメータ(宇宙X線星発見)、東大宇宙研、観測衛星、X線星成功、理化学研
恩師・恩人菊池正士教授、渡瀬譲助教授、ロッシ教授
人脈盛田昭夫(阪大理)、湯川・朝永・南部先生、糸川英夫、平尾邦雄、三浦・曽野夫妻、小柴昌俊
備考父・医教授、ニックネーム「星の王子さま」
論評

1923年2月24日 – 2001年3月1日)は北海道札幌市出身。天文学者、宇宙物理学者。東京大学名誉教授。大阪帝国大学理学部物理学科菊池正士研究室出身だが、菊池の弟子・渡瀬譲に師事したので、小田は菊池の孫弟子といえる。はじめ実験物理学を専攻したが、その後電波天文学に転向し、さらに宇宙線物理学およびX線天文学を専門とするに至った。旺盛な好奇心と夢のような発想の持ち主で、研究者仲間から「星の王子さま」の愛称で呼ばれた。父は医学者の小田俊郎、母・澪子は台湾の医学教育に尽くした堀内次雄の娘。

1.宇宙考古学(屋久島スギからの発想)
1961年には、何人かの仲間と屋久島にわたり、大きな屋久杉を何本も採って来た。これを使って、何千年の間の宇宙線の変化を調べようというのであった。宇宙線が大気に飛び込んでくると、空気中にC14という炭素の放射性元素をつくり出す。地上の動物も植物も、その体に含まれる炭素はもとはと言えば空気中の二酸化炭素から来ている。C14は放射線を出しながら5-6千年の間にだんだん減っていく。このことを使って、ミイラや古い書物の年代を測るのが炭素年代測定法である。私はこれを逆に用いて、あらかじめ年代のはっきり分かっている木の年輪の炭素の分析から宇宙線の変動を調べて、あわよくば超新星の痕跡を得ようという発想だった。
 いわば宇宙考古学である。10人ほどのチームをつくり、持ち帰った屋久杉を分析した結果、千八百年ほどにわたる宇宙線の強度の変化が分かってきた。15、16世紀に何十年間か宇宙線の強い時期が見つかって、すわっ超新星の痕跡かと思ったが、これはその当時太陽の活動が弱かったためと考えられている。

2.X線源の観測用「すだれ」の考案(すだれコリメータ)
X線を見る望遠鏡はない。レンズも鏡も使えない。工夫をしないとみる手段がないのである。インドの国際会議に出席するため、予防注射を打った。熱っぽくなったので家に帰り、ソファでウトウトしていたら、ふと思いついた。ペットショップで見かけた二十日ネズミが回している籠を透かして見ると、縞模様がみえる。すだれやカーテンを二枚重ねにして透かして眺めると、縞がはしる。この縞をとおしてX線源を眺めて隠れたり見えたりするさまから、天空のX線源の大きさや形が分かるのではないかという考えである。
 MIT(米マサチューセッツ工科大学)の恩師ブルーノ・ロッシ教授に連絡すると、先生はこれは日本のすだれ(バンブースクリーン)だね、とご機嫌だった。結局、モジュレーションコリメータ、見え隠れするコリメータと呼ぶことにした。日本では「すだれコリメータ」というようになった。この観測で、さそり座のあたりにある強いX線源は星のように小さいものであることが分かったのである。この天体はさそり座X―1と呼ばれている。この「すだれコリメータ」はその後も改良され、米国や欧州の人工衛星でも随分使われた。

3.X線天文衛星の失敗と成功
1976年2月4日、私が担当した日本初のX線天文衛星は失敗に終わった。とても残念で口惜しい思いをした。それから3年後の1979年2月21日、次のX線天文衛星が打ち上げられた。衛星は無事軌道に乗った。打ちあがってしばらくは衛星が妙に首を振るのに悩んだが、すだれコリメータを載せた「はくちょう」からは次々にデータが送られてきた。4月9日には内之浦の当番の村上敏夫さんから「本朝未明大バースト発見セリ」という大時代なファックスが入った。バーストとはX線の爆発現象である。すぐ電話ですだれの動きは見えるかと聞くと、「見えます、キレイに見えます」と返事があった。衛星は90分ほどで地球を回って頭の上に約10分間戻ってくる。衛星から情報を受信し、また衛星に電波で指令を与えるこの10分間は灰神楽がたったような騒ぎになり、猫の手も借りたくなる。難産だった「はくちょう」は6年というべき天寿を全うした。休日にも観測し続けたので、みんなに「はくじょう」と呼ばれるほどよく働いた。最後は大気圏に突入し、燃え尽きていきながらも観測を続けた。

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