安部修仁 あべ しゅうじ

サービス

掲載時肩書吉野家HD会長
掲載期間2016/09/01〜2016/09/30
出身地福岡県
生年月日1949/09/14
掲載回数
執筆時年齢67 歳
最終学歴
高等学校
学歴その他
入社吉野家アルバイト
配偶者バンド仲間
主な仕事バンド活動、福岡店長、米国留学、倒産、セゾン支援、社長、BSE4年、京樽、はなまる、伊藤忠、
恩師松田瑞穂増岡章三
人脈(弁)今井健夫、堤清二、和田繁明、丹羽宇一郎、
備考
論評

氏は、この「履歴書」で飲食産業界から登場した江頭匡一(ロイヤル)、鳥羽博道(ドトール・コーヒー)に次いで3人目である。中学時代から音楽に興味を持ち、ギターを片手にバンド活動をするようになる。高校卒業後も音楽で身を立てるため上京する。アルバイトをしながら音楽活動をするが挫折。高級を出してくれる牛丼店(吉野家)にアルバイトで腰を落ち着けた。
この「履歴書」で知った知識は外食産業の実情だった。
・わずか20席で1日1000人の客を回す。
・お客さんは食のプロ。牛丼にも好みの味や盛りつけを求める。つゆだく、ネギ抜き、頭の大盛りなど10種類はあり、お客に(ご注文は?)と聞こうものなら途端に不機嫌になる。必死でお客さんの顔と注文を覚える。500人は頭に入ったと思う。
・外食業界の平均営業利益率は5%と一日500人の来店を達成させること。
・吉野家単体の営業利益率が15%に対し、グループ企業(京樽、はなまるなど)は平均1.5%だったときもある。
吉野家は会社更生法の申請により、セゾン(当時は西武流通)グループに支援を仰いだが、氏は4年後に債務を100%完済して更生手続きは完了する。米国でBSE(牛海綿状脳症)発生により4年間の輸入ストップする大ピンチを迎えるが、社員を鼓舞しそれを豚丼など牛丼なしでも経営が成り立つメニューやシステムを作り上げた。そして倒産した京樽を再建させ、子会社うどん専門の「はなまる」などを育成した。氏の「単品管理は経営リスクが高い」は間違っているという持論。「単品だから品質を極め、際立った業績を上げ続けたのだ。単品経営はリスクテイクであり、独創性の高い絶対的な価値を生み出す」の考えは経営に新しい価値基準を発見させてくれた。

あべ しゅうじ
安部 修仁
生誕 (1949-09-14) 1949年9月14日(71歳)
日本の旗 日本 福岡県
出身校福岡県立香椎工業高等学校
職業実業家

安部 修仁(あべ しゅうじ、1949年昭和24年)[1]9月14日[2] - )は、日本の実業家である。株式会社吉野家ホールディングスで会長と社長を歴任した。ミスター牛丼の呼称がある[3][4]。元一般社団法人日本フードサービス協会会長。元特定非営利活動法人日本食レストラン海外普及推進機構副理事長。

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  2. ^ crosstalk_vol.2”. Zoetis JP. 2017年6月3日閲覧。
  3. ^ 内野雅一 (2014年8月25日). “特集ワイド:牛丼の価値、次代へ 今月末退任、安部修仁・吉野家社長”. 毎日新聞 (はてな). http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/shimen/news/20140825dde012020002000c.html 2014年8月27日閲覧。 
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