掲載時肩書 | 建築家 |
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掲載期間 | 2011/03/01〜2011/03/31 |
出身地 | 大阪府 |
生年月日 | 1941/09/13 |
掲載回数 | 31 回 |
執筆時年齢 | 70 歳 |
最終学歴 | 工業高校 |
学歴その他 | |
入社 | 建築ア ルバイト |
配偶者 | 関西学院大学娘 |
主な仕事 | ボクシング、独学、京都・奈良・欧州建築、サントリーミュウジアム、地中美術館、イエール、ハーバード、コロンビア・東大教授、セルビア万博、 |
恩師・恩人 | ル・コルビュジエ |
人脈 | 小澤征爾、福武総一郎、樋口廣太郎、佐治敬三、唐十郎、横尾忠則、堺屋太一、堤清二、二川幸夫、三宅一生、イサムノグチ、 |
備考 | ボクサーのように闘う建築家 |
1941年(昭和16年)9月13日 – )は大阪生まれ。日本の建築家。一級建築士。安藤忠雄建築研究所代表。東京大学特別栄誉教授。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年-)、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる。ボクサーのように闘う凄い建築家でした。
1.プロボクサーを志す
2011年3月執筆は建築家・安藤忠雄氏でした。最近の登場人物には珍しくギラギラとしたエネルギッシュな表現に引き込まれました。氏は子供のときから喧嘩好きで高校2年のときプロボクサーになる。ロープに囲まれた四角いリングの上で敵と向かい合い、自らを奮い立たせて極限まで闘うことで最後に頼りになるのは自分の力だけと悟る。
しかし、ファイティング原田の練習風景を見て驚いた。本番さながらに3分間戦って1分間休憩する。その回復力の凄まじさに驚き、プロでのし上がっていくには才能が必要なのだと痛烈に思い知らされた私は、ボクサーの道をすっぱりと諦めた。結局、プロボクサーとしてボクシングに励んだのは1年半くらいだった。
2.建築への道
高校時代、既に建築の道を意識していた私は、大学に進みたいと思っていた。が、家庭の経済的事情に加えて学力の問題があり、大学進学は諦めざるを得なかった。建築家になるには、何をどう勉強すればよいか分からない。大学の建築学科に進んだ友人に頼み、授業で使う専門書を何冊も買った。
読んで読んで、読みまくろう。友人たちが4年かけて理解するのを1年で読破しよう。読むだけでは理解できないことも分かりながら、朝起きてから寝るまでひたすら本に向かった。それが最良の方法だったのか、今でもわからない。それでも意地と気力で1年間やり遂げた。
そして実物建築に興味を持ちアルバイトをしながら奈良や京都の古代建築を見て周り、それに飽き足らず四国、九州、本州へと次々と足を伸ばして日本の原風景を見た後、24歳の時にはヨーロッパの有名建築までも見に行く。そのときに自ら体験し、学び、そして得た建築行脚の感動を大切にした。
3.建築素材に「水」「光」「間」も採り入れる
大学に行かずに独学で建築家になった氏が活躍するのを見て、米国のイエール大学、ハーバード大学ら有名大学から教授として招聘された後、東京大学でも5年間の教鞭をとる。氏が高く評価されるのはどこなのだろうか?これを知りたくて、再度「私の履歴書」を読んでみた。西洋建築は石、コンクリート、ガラス、鉄などの素材を使い、「理性」「秩序」「対称性」を念頭に取組むのに対し、氏はそれに加えて、日本の良さである自然の「水」「光」「間」を採り入れている。しかし、そこには、その国や地域の社会、経済、歴史、技術を考慮に入れ、人間への配慮をした建築を心掛けなければ価値はない。
4.事務所のルール
現在(2011年)、私の事務所は25人。国内の仕事に加え欧米やアジア諸国の他に、メキシコ、アブダビ、バーレーンと世界各地で仕事をしている。事務所を開いた1969年、所員は私と妻、スタッフの3人だった。梅田駅に近い茶屋町に10坪(約33㎡)の部屋を借りて細々とスタートを切った。仕事があったわけではない。
事務所には当時から今も変わらないルールがある。それは製図道具や筆記具などは全てスタッフ持ちとすること。大工がカンナやノコギリなどの道具をすべて自前で用意することに由来する。当時は製図板の上にT定規を置いて鉛筆で製図した。今は一人ひとりが使うパソコンもスタッフの自分持ちだ。そうすることで、モノを大切にして欲しいと考えている。
どんなプロジェクトでも、私とスタッフの一対一で進める。入社間もないスタッフにも住宅を一つ担当させる。住宅には建築に関するすべての要素が含まれている。リビングなどのパブリック、寝室などのプライベート、台所やトイレなどの水回りと生活に掛かる全ての要素がある。仕事を進めていく過程で、スケジュール、コスト、品質管理、法規への対応、現場への指示などあらゆることを成さねばならない。一つの住宅を最初から最後まで経験すれば、様々なことが学べるからである。
5.国際建築コンペに今後も挑戦
氏は、「建築物の表層をただ見るだけでなく、造り手の人間性やその人生、建築が作られた時代にも思いをはせながら、ひたすら歩いて建築を見る」ことを若い建築家に勧めている。「現代人は、経済的な豊かさだけを求め、生活文化の本当の豊かさを忘れてしまっている。私は、既成概念と自分自身の殻をも打ち破り、闘い続ける人間になりたい」と結んでいた。きっと国際建築コンペに今後も応募し、KOされるまで挑戦し続けることだろう。
安藤忠雄 | |
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2004年撮影 | |
生誕 | 1941年9月13日(83歳) 大阪府大阪市港区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大阪府立城東工業高等学校 |
職業 | 建築家 |
受賞 | 日本建築学会賞作品賞(1979年) 毎日芸術賞(1987年) 日本芸術院賞(1993年) プリツカー賞(1995年) 高松宮殿下記念世界文化賞(1996年) RIBAゴールドメダル(1997年) AIAゴールドメダル(2002年) 京都賞思想・芸術部門(2002年) UIAゴールドメダル(2005年) ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年) 後藤新平賞(2010年) |
公式サイト | www |
所属 | 安藤忠雄建築研究所 |
建築物 | 住吉の長屋 光の教会 地中美術館 |
安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第79912号)。安藤忠雄建築研究所代表[1]。東京大学特別栄誉教授[2]。文化功労者。文化勲章受章。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年 - )、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる[1][3]。