掲載時肩書 | 国務相 |
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掲載期間 | 1956/10/06〜1956/10/23 |
出身地 | 熊本県 |
生年月日 | 1889/07/07 |
掲載回数 | 18 回 |
執筆時年齢 | 67 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 五高 |
入社 | 内務省 |
配偶者 | 山形娘 |
主な仕事 | 民政党、幹事長(若槻総裁、町田総裁)、横綱の推挙形式、天覧相撲実現 |
恩師・恩人 | 清浦奎吾(五高) |
人脈 | 永井柳太郎、、平福百穂画伯、若槻礼次郎、町田忠治、菊池寛、川口松太郎夫妻、永田雅一、高浜虚子、吉川英治 |
備考 | 出羽錦・時津風と義兄弟、千代ノ山・鏡里(仲人) |
1889年(明治22年)7月7日 – 1957年(昭和32年)2月20日)は熊本県生まれ。内務官僚、政治家。敗戦後は大日本政治会を母体とした政党・日本進歩党の結成に尽力するが、総裁の座を巡って町田と宇垣一成の何れかにするかで党内が揉めることになった。大麻は、町田総裁実現のため当時土建会社を経営していた田中角栄(田中の会社で大麻が顧問となっていた)に政治資金を用立てさせて、町田総裁を実現させた。第1次、第2次、第3次鳩山一郎内閣国務大臣(国家公安委員会委員長をつとめる。保守合同を経て自由民主党顧問となる。自民党では旧民政党の右派のメンバーからなる大麻派という小派閥を率いた。
1.出羽海と時津風の両親方と義兄弟に
私はこの両親方の手を握らせる仲立ちをした。相撲協会の責任者である出羽海秀光君は常ノ花時代からの昵懇である。また元の双葉山は私の最も愛好した力士であった。出羽海は相撲経営者としては古今独歩、第一人者である。時津風は不世出の大力士である。この二人をそのまま放っておけば、二派に分かれて早晩協会にひびが入る。反対にこの二人がお互いに長所を認め合っていけば協会の基礎は盤石だと思っていた。そこで二人を招いてその話をし、一年余かかって全く相知り合う間柄にしてしまった。そうしておいて古風なことだが義兄弟の盃をさせた。そのとき、時津風がチョッと伺いたい、二人が問題を起こしたとき、一番上の兄貴分の先生が裁くということでどうだろうか、というわけである。
結局、3人でその盃を飲んだ。以来私は二人の義弟を持ったわけだが、二人は水魚の交わりとなった。
2.横綱の推挙は協会の手で
千代ノ山が横綱になることに決まったときのことである。歴代の横綱が免許をもらうことになっていた熊本吉田司家が刑事事件を起こし、新聞に掲載された。それで相撲協会の理事や好角家、さては一般力士の間でそんな人から横綱をもらいたくないという議論が起こった。そこで吉田家から横綱の免状をもらい、その免状は我が国相撲中興の天子たる明治天皇のご神前で協会から授与したらよいとの私の判断だった。
次に私は「品格力量抜群につき横綱に推挙す。大日本相撲協会」という案をだした。古来の技術・風格などいろいろの条件も品格力量の条件に含まれると思ったし、協会が決めるだけだから推薦ではなし、推戴といえば横綱の方が協会より上になる。そこで推挙がよかろうと考えたわけである。私の提案にはどこにも異議がなく、この案どおりに決まった。
3.天皇陛下と相撲
天皇陛下は非常に相撲がお好きであられる。しかし、いままでは宮中に力士を呼んで勝負をご覧になっておられたが、是非国技館の本場所の相撲をお目にかけてお慰めしたいと私は心を砕いた。念願かなって昭和30年(1955)5月、陛下が蔵前国技館に行幸、一般大衆と共に我が国の国技たる、お好きな相撲の本場所を観覧あらせられることとなった。
陛下は一勝負ごとに鉛筆をとって印をつけたり、あるいは身をのり出して勝負に力をお入れになったり、さては拍手を送って一般大衆とともにお楽しみなった。このお姿を見た国民はひとしく、あぁ、陛下がお喜びになっている、といって涙を浮かべて喜んだ。この情景は昔の言葉で言えば君民一如が具現されたようなものであり、戦前には見ようとしても見られない光景であった。翌年正月になってその時の御製がはじめて発表された。
ひさしくもみさりし すまいひとひとと手をたたきつつ 見るかたのしさ
というのであって私が想像していた通り、陛下も心からお喜びになったようである。今年の5月もまた国技館においでになった。おそらくこれが例になって今後も毎年五月場所はご覧になることとも思う。
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2016年5月) |
大麻唯男の肖像写真 | |
生年月日 | 1889年7月7日 |
出生地 | 東京府(出身地は熊本県玉名市) |
没年月日 | 1957年2月20日(67歳没) |
死没地 | 熊本県熊本市 |
出身校 | 東京帝国大学法科大学政治科 |
前職 | 内務官僚 |
所属政党 | (政友本党→) (立憲民政党→) (翼賛議員同盟→) (翼賛政治体制協議会→) (翼賛政治会→) (大日本政治会→) (日本進歩党→) (無所属→) (民政旧友会→) (新政クラブ→) (改進党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
称号 | 従二位 勲一等旭日大綬章 |
配偶者 | 大麻世津子 |
親族 | 大麻勇次(兄) |
第3-5代 国家公安委員会委員長 | |
内閣 | 第1次鳩山内閣 第2次鳩山内閣 第3次鳩山内閣 |
在任期間 | 1954年12月10日 - 1956年12月23日 |
内閣 | 東條内閣 |
在任期間 | 1943年4月20日 - 1944年7月22日 |
衆議院議員(8-10期) | |
選挙区 | 熊本県第1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1952年10月2日 - 1957年2月20日 |
選挙区 | 熊本県第1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1924年5月11日 - 1945年12月18日 |
大麻 唯男(おおあさ ただお、1889年(明治22年)7月7日 – 1957年(昭和32年)2月20日)は、日本の内務官僚、政治家。