大野勇 おおの いさむ

食品

掲載時肩書森永乳業相談役
掲載期間1981/08/20〜1981/09/14
出身地東京都渋谷
生年月日1899/02/27
掲載回数26 回
執筆時年齢82 歳
最終学歴
慶應大学
学歴その他青山学院
入社森永製菓
配偶者見合:油屋娘
主な仕事森永東北農産、台湾開拓、北海道興農公社、森永乳業、S24森永乳業分離、クリープ、中毒事件
恩師・恩人松崎社長、河井専務
人脈町村敬貴、黒沢酉蔵、早川種三、鈴木三郎助、五島昇
備考クリスチャン
論評

明治32年(1899)2月27日~昭和59年(1984)5月30日、東京生まれ。実業家。森永乳業会長。乳業一筋の人生で「乳業界の最長老」と呼ばれた。

1.食品事業の公共性を痛感
大正12年(1923)9月1日の関東大震災。ちょうど三島に出張中で、昼食を食おうかとしていたときだった。そのとき初めて経験したのだが、地震というものは大変な地鳴りと震動を伴ってやってくるものだ。最初のうちは家の中に立っていたが、よろめいてとても立っていられない。ようやくの思いで外に飛び出したら煙突がグラリグラリと揺れている。これは大変だと思った。一時、小やみになったので事務所に入ったらまた揺れがやってきた。大きな地鳴りを伴う揺り戻しが3回あった。
 「すぐ、東京に戻れ」と言われ、東京まで帰る車を頼もうとしたら、みんな怖がって行こうとしない。ようやく一人だけ行ってもいいという運転手が見つかった。契約金は15円也。出発したが箱根街道はダメ、御殿場街道は橋が壊れて通れない。結局、どこもかしこも無理だということが分かり、三島神社の旅館で一泊。翌日はカツオ節を2,3本買い、出発。4日にほうほうのていで東京に帰ったが、途中、悲惨な死人の姿も目にしたことは今でも忘れられない。
 幸い森永は田町工場、大崎工場、丸ビル、いずれも被災していなかった。「在庫品は全部出して救恤品に回せ」という社長命令で、コンデンスミルクを井戸水で溶かし、通行人に無料接待した。これは1日に5万人に達した。またビスケットを50匁ずつ袋に詰め、6万人の胃袋を満たした。さらに赤ん坊用にコンデンスミルク1缶ずつを寄贈したほか、5万円で米を買い入れ、これを5合ずつ施米するなどした。震災後、10年くらいはお礼が来た。私はこの時、食品事業の公共性と森永に働くことの意義を強く感じたのだった。

2.森永ミルク中毒事件
昭和30年(1955)夏、森永の育児粉乳による中毒事件が発生した。ご迷惑をおかけした方に対し、改めて深くお詫びをしなければならない。その数か月前に、やはり他社製品の中毒事件があったばかりなので「高くてもいいから高品質のものを使え」と通達を出しておいたところであった。だから岡山県の乳児の病気が当社の粉乳によるものであるという連絡を受けた時は、瞬間、信ずることができなかった。
 8月24日、県衛生部は当社徳島工場(工場記号MF)製造の育児粉乳が原因であると発表した。同工場の供給地域は主として関西以西であったが、地域が広かったため、被災者は多く、広報、治療、検診、製品回収などについて、厚生省、地方自治体、医療機関、多くの医師に大変お世話になった。これまたお詫びとお礼をしなければならない。
 全森永をあげて自粛し、被害地の救援に走った。従業員組合は、昇給、ボーナスを辞退、売れ行きの止まった製品の回送されて来るのを受け取り、ひたすら生命の被害の少ないことを祈った。被害者の方との補償のお話は難航した。その時は、被害者のご納得をいただくためには、会社の立場をあれこれ述べずに公正な第三者の判断に従うべきであると考えて、厚生省へ斡旋を依頼した。同省から、「白紙委任をするか」と聞かれ、その通りいたしますと誓約して、いわゆる5人委員会が発足した。
 これは法律家、医師など5人の方から成るもので、当時の日航木星号事件、国鉄桜木町、洞爺丸、紫雲丸事件などの補償例を参考として、補償意見書を作成、発表した。この意見に従って、お話し合いを続け、了承をいただくことができた。なおその際、行政、医療機関による事後検診を行うことが定められ、31年に厚生省の指示で実施された。さらに検診、観察を必要とする方がいたが、いずれも数年後に治癒となった。
 この事件について当社は責任を深く感ずるものであり、弁解の余地はない。これは私が一生、十字架を背負っていかねばならぬことであろう。

3.香典は大歓迎の持論
最近、名士の死亡広告には「供花、香典は固くお断り申し上げます」とある場合が多い。しかし、供花はムダだが、香典はぜひ厚志のほどありがたく受け取る建前にしてはどうか。否むしろ歓迎していただくようにしようというのが私の提案なのだ。
 遺族が必要ならありがたくいただておく。だが、経済的にさして困らぬ場合、ガンで死んだ人はガンの研究に、社会福祉に理解のあった人は社会福祉施設に寄付すれば良いのではないか。仮に一千万円の香典を貰う人が年に100人ほど他界するとしたら、10億円の金が有意義に使われるわけだ。
 だが、当然の人情として死後のことを云々することは、肉親にはもちろん親類、友人とてしにくいことだ。だからまだ社会的活動を続けていても、一定の年齢に近づくと、「自分の香典はこれこれに寄付する」と宣言しておく。遺族、関係者にはそれを確実に実行していただこう。私はこれを「寄典会」と名付け、10数年前から会員を募っているのだが・・・。この「香典大歓迎」を私の持論として披露させていただいた。

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