大社義規 おおこそ よしのり

食品

掲載時肩書日本ハム社長
掲載期間1984/07/21〜1984/08/18
出身地香川県津田
生年月日1915/02/01
掲載回数29 回
執筆時年齢69 歳
最終学歴
香川大学
学歴その他高松高商
入社養豚組合
配偶者見合:裁判官娘
主な仕事徳島ハム(独立)+鳥清ハム=日本ハム、奥様重役制度、プロ野球
恩師・恩人藤沢克太郎 叔父、中条晴夫
人脈木村竹千代・三原脩・成田知巳(先輩)、小松左京、琴ケ浜、神風正一、中西太、芦原重義、上枝一雄、高橋荒太郎、宮崎輝
備考先祖:神官・大地主
論評

1915年2月1日 – 2005年4月27日)は香川県生まれ。実業家。日本ハム創業者で元社長。1973年には旧制高松中(現・高松高校)の先輩である三原脩の勧めにより日拓ホームフライヤーズを買収し、公募で決定した新ニックネームをつけ「日本ハムファイターズ」としてプロ野球に参戦。オーナーに就任し、チームの躍進とともに企業のイメージアップにつなげた。大社は三原を球団社長に、三原の娘婿である中西太を監督に招聘している。1981年には大沢啓二監督のもとの指揮で19年ぶり(1962年、東映時代以来)、日本ハムとしては初めてのパシフィック・リーグ優勝を果たす。

1.成田知己さん
昭和2年、県立高松中学に入学した。私は入学と同時にバレーボール部に入り、練習に明け暮れた。野外にあったバレーコートは、野球部のグランドと隣り合わせており、よくファウルボールなどが飛んできた。それを拾い集めに来るのが、野球部のマネジャーだった。後の社会党委員長、故成田知己さんの若かりし頃の姿である。成田さんは、高松の保守系の政治家に生まれた方だった。秀才で、出世も早かった。東大卒業後は、31歳で三井化学の文書課長になられている。良家のご出身なのに、戦後社会党の代議士になられたのは、たまたま選挙区が保守系で満杯だったことと、当時の“社会党ブーム”が理由だったようだ。
 私より2歳半ほど年上だったが、スポーツが取り持つ縁なのか、政治は抜きで、よく酒席でお付き合い願った。書記長就任の頃までは、正月に高松に帰ってこられると、必ず一緒に痛飲したものである。

2.豚を気絶させる方法
昭和9年の春、19歳の私は高松高商を中退して叔父・藤沢克太郎が組合長をしていた養豚組合に就職した。この組合は四国では最初、全国でも数少ないハムの生産工場を、高松市内に持っていた。まだ売れる量はわずかだったが、私は叔父が打込んでいた仕事に、とにかく賭けてみることにした。
 藤沢叔父の養豚組合へ初出勤した日のことは今も忘れられない。事務所に出向いたら、いきなり屠畜場へ連れて行かれた。中をチラッと見ると、沢山の豚が倒れていた。なにぶん、初めて見る光景である。思わず立ちすくんでしまった。ところが、今度は実際に「豚を失神させてみろ」と、いう。やってみるとこれがなかなか難しい。豚との追いかけっこで、こちらがクタクタになってしまった。これではとても勤まらない。このまま逃げて帰りたい、という思いだった。
 だが組合では私より2年先輩であり、甥でもある稲葉育男技師が派遣されていた。彼が豚を気絶させるお手本を見せてくれた。さすがにうまいもので、一発必中である。これで屠畜もうまくなり、ハムの作り方も習った。

3.新社名:日本ハムの誕生
昭和38年(1963)8月、徳島ハムと鳥清ハムは合併した。合併比率は1対1の対等だった。両社の役員はそのまま増減なしに、合併会社の役員となった。会長には鳥清さんの社長だった辻本信千代さん(故人)に就任していただき、私が社長になった。新社名は全国に通用するということで、日本ハムとし、本社は大阪に置いた。この年の業界の勢力地図は、売上高1位が竹岸畜産工業(現プリマハム)の62億円、2位が伊藤ハムで54億円、3位が当社で鳥清は4位だった。合併して誕生した日本ハムの売上高は82億円となり、一気にトップに躍り出たのである。

4.奥様重役制度
昭和43年(1968)に、今も続けている「奥様重役制度」をスタートした。世間で消費者パワー大きな話題になり出したのは45年頃だったから、先見の明があったと、いささかの自負がある。当社の製品は、台所に直結しているだけに、購買者はほとんどが家庭の奥さんだ。料理も奥さんが主体だから、その意見に耳を傾けることは、製品づくりのうえで欠かせない。
 この制度のお蔭で、数多くのヒット製品を世に出すことができた。子供たちに人気のあった「ブンタッタ」を、そのままおやつ用ソーセージのキャラクターに使った「ブンタッタソーセージ」や、皮をむく手間を省ける皮なしのウィンナーの「ウィニー」などがそうである。

大社 義規

おおこそ よしのり
生誕 (1915-02-01) 1915年2月1日
日本の旗 日本・香川県大川郡津田町
死没 (2005-04-27) 2005年4月27日(90歳没)
日本の旗 日本・兵庫県
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大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本実業家日本ハム創業者で元社長。香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。

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