掲載時肩書 | 吉田工業社長 |
---|---|
掲載期間 | 1977/08/22〜1977/09/17 |
出身地 | 富山県魚津 |
生年月日 | 1908/09/19 |
掲載回数 | 27 回 |
執筆時年齢 | 70 歳 |
最終学歴 | 小学校 |
学歴その他 | 早稲田実業校外生 |
入社 | 古谷商店 |
配偶者 | 近所娘 |
主な仕事 | サンエス商会創立、吉田工業所(ファスナー)、YKK産業(アルミサッシ)、(ファスナー+アルミ)2会社 |
恩師・恩人 | 古谷順平 |
人脈 | 安田壮太郎、高橋四郎、清三郎、白土暁 |
備考 | 経営哲学:善の循環(貯蓄)、カーター大統領(就任式出席) |
1908年9月19日 – 1993年7月3日)は富山県生まれ。実業家で、YKKの創業者。古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始める。以降、YKKを世界的な企業に育て上げた。兄弟の吉田久松もYKKの設立に貢献した。
1.経営哲学「善の循環」
USスチールのカーネギーは、「他人の利益をはからなければ、自らも栄えない」という言葉を残した。私はこの考え方が子供ながらに忘れられず、長じて事業を始めたときから、私の経営哲学の基本にしてきた。私はそれを「善の循環」と呼んでいる。これを実践する上で一番大切なのは貯蓄である。どんなすばらしいアイデァがあっても、実現するためには必ず元手になる資金が必要だからである。人間が動物と異なるのも、人間だけが明日のことを考えて貯蓄できることにあると言える。当社ではこうした考え方から、それぞれ事情の許す範囲で、社員にも、給与からは1割、賞与などからは5割を目標に積み立てるよう勧めている。
こうして集まったお金を基にして新しい設備を整えることができ、事業を発展させることができる。それにより製品の品質を良くし、価格を安定させることが可能になる。その結果、ユーザーの皆さんにも喜んでいただけ、需要が拡大する。丁度、池に石を投げると波紋が大きな輪になって広がっていくように、「循環」していくのである。これが「善の循環」である。
2.ファスナー機の導入と国産化
戦後GHQのあっせんで米国人バイヤーがやってきた。私方から、5ミリ10インチのファスナーを1本9セントで売りたい、と言った。ところが相手は「これを1本7セント40で売ってやってもよい」と笑いを浮かべながら、1本のファスナーをカバンから取り出した。私たちの製品に比べ、その機能やデザインなどで、数段上の立派な品物であった。米国製である。商談どころではなく、私の体から冷や汗がどっと噴出した。
米国から機械を輸入しよう。米国品に太刀打ちしていくには、それしかない。しかし、機械の購入代金は3万5千ドル(1260万円)という大金であった。資本金が、資金調整法で抑えられ19万8千円の時だから、実に当社の資本金の60倍以上の買い物であった。だが、私には不安も迷いもなかった。昭和25年〈1950〉7月、私たちの発注した米イージー社チエーンマシーンが、遂に工場に姿を現した。
この輸入したマシーンは、予想にたがわず、おそるべき性能であった。従来使っていた国産機だと、300回転が精一杯なのだが、実に4倍の1200回転が可能なのである。しかもこれまでの機械だと、ムシを作る打ち抜き工程で製品よりスクラップの方が多く出ていたが、この機械だとまるでロスが出ない。
これと同じ機械が、100台欲しい。日本の工作機械メーカーに作ってもらおう。だが、彼らに出来るだろうか、と思った。早速、わが国の一流工作機械メーカーに、次々に当たってみた。すると日立精機の清三郎常務(現会長)、白土暁技術部長(現社長)らが、「これなら、なんとかできる」と請負い、完成させてくれた。
3.三方一両得を活用
私は代理店から預かる保証金について、一工夫をこらした。例えば、1千万円の保証金を入れる代理店の場合には、その代理店はYKKの取引銀行に5百万円の定期預金を作って1千万円を借りるのである。この1千万円がYKKに入ると、当社はそのうち5百万円を銀行に定期預金する。代理店は半分の金で保証金を積むことができ、私どももちゃんと保証金を預かることができる。銀行は銀行で1千万円の預金と貸し付けが可能となり、それだけ取り扱いを増やすことが可能となる。名判官の大岡越前守に「三方一両損」という裁きがあるが、これなどさしずめ、YKK、代理店、取引銀行の三者にとって「三方一両得」といえるやり方ではないだろうか。代理店の売上は、これをきっかけに、うなぎのぼりで増えていった。