掲載時肩書 | 衆議院議長 |
---|---|
掲載期間 | 1987/04/01〜1987/04/30 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1907/02/06 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 80 歳 |
最終学歴 | 米国オレゴン大学 |
学歴その他 | 早大政経、 |
入社 | 講談社 |
配偶者 | 信心深い娘 |
主な仕事 | コロンビア大院、S21年衆議員39歳、淡路ダム、「渡り鳥シリーズ」、勤労青少年交換留学、淡路架け橋、中国空海記念堂、 |
恩師・恩人 | 斎藤隆夫、大野伴睦、池田勇人 |
人脈 | 高田屋嘉兵衛(郷土)、二階堂進・三木武夫(洋行組)、鶴見祐輔、和田完二 |
備考 | 代々庄屋、お遍路10回 |
1907年〈明治40年〉2月6日 – 2004年〈平成16年〉11月6日)は兵庫県生まれ。政治家。1986年7月の第106特別国会より、第65代衆議院議長に就任。自民党が絶対多数の300議席を有するもとで、大型間接税(売上税・消費税)導入をめぐる税制改正問題や、1988年に発覚したリクルート問題に直面し、「厳しい国会運営」を強いられながらも、「税制国会」こと第113臨時国会において、消費税導入を含む税制改革関連6法の成立に尽力した。その後、第114通常国会会期中の1989年6月、政府予算案の強行採決をめぐる混乱(憲政史上初めて、自民党単独での採決となった)により、衆議院議長を辞任した。なお、衆議院の議長・副議長・仮議長をすべて務めた経験があるのは、原のみである。
1.松岡洋右の演説
1933年(昭和8)の春、松岡洋右が突如オレゴン大学にやってきて演説をしたことがある。その年の2月、国際連盟で、日本軍の満州(現中国東北部)からの撤退勧告案が圧倒的多数で可決された。そのことが日本にどう報道され、どのように受け止められたか、私は知る由もなかったが、ともあれその国際連盟総会で松岡代表は一大反対演説を行い、連盟脱退を宣言して退場した後、ニューヨークから母校のオレゴン大学に寄ったのであった。
黒い礼服にシルクハットをかぶった姿が目に浮かぶ。氏は壇上に立って、自分の母校がオレゴン大学であること、その思い出、日米友好がアジアと太平洋の平和のために不可欠であると等々を述べた後、しかしながらまた満州国の安定と繁栄も不可欠であり、そのために日本の軍事的支援が必要であることを堂々と論じ立てた。見事な英語の演説だった。
2.ヒットラーと単独会見
オレゴン大学に4年、コロンビア大学に1年、その後1937年(昭和12)から欧州の見聞を広めるためにまわった。ドイツはもちろんヒットラー治下である。日独防共協定がベルリンで調印された直後だったので、親日的な雰囲気が盛り上がっていた。私は大使館を通じて、ヒットラー総統の会見を申し込んでみた。内心ではまさかOKは出まいと思っていたが、「よろしい」ということになった。
ヒットラーの執務室に案内された。さすがに私といえども緊張した。私はナチスが今、最重要視しているものは何か、と質問した。ヒットラーは言下に「熱烈にして旺盛なる国民の意気である」と答えた。その他に平和問題、経済情勢など2,3の質問をしたのだが、さして印象的な答えがなかったためか、明瞭な記憶は残っていない。ただ、顔貌の印象は、眼光するどく鷹の目のようにものを見据え、精悍にして威圧的だった。
3.日活「渡り鳥シリーズ」のストーリーを書く
私は米国に留学中の頃、日曜日の夜にはもっぱら映画館で西部劇を観ていた。その頃の花形役者はジョン・ウェインだった。昭和32年(1957)ごろ、早稲田の同級生で日活のプロデューサーをしていた児井英生君と話しているうちに、彼は私が米国の西部劇をよく知っているので、「ぜひ君が原作を書いてくれ。ストーリーを書いてくれればいいのだ」と言って口説き落とされた。私としては運輸委員長、国会対策副委員長などをしていたころで、けっこう公務も多忙だったが、ついつい児井君のすすめに乗ってしまった。
そこで私がストーリーを書く。山あり谷あり、荒っぽいアクションもあれば恋もある。それを脚本家の山本厳さんや松浦健三さんが細かい動きを入れてシナリオに仕上げる。それを斎藤武市さんが監督する布陣である。ヒーローには小林旭を抜擢した。その恋人役には浅丘ルリ子、ヒーローの味方になる脇役には宍戸錠という配役である。ヒーローはギターを弾き、ピストルを撃ち、馬に乗って走り回る。だからロケ地も広大でなければならない。富士のふもと、箱根、北海道など景色の良いところを選んだ。思い出すままにタイトルを挙げると「ギターを持った渡り鳥」「波涛を越える渡り鳥」「渡り鳥北へ帰る」など10数本つくった。
原 健三郎 はら けんざぶろう | |
---|---|
『現代防衛論集』防衛研究社、1965年 | |
生年月日 | 1907年2月6日 |
出生地 | 兵庫県津名郡浅野村 (現:淡路市) |
没年月日 | 2004年11月6日(97歳没) |
死没地 | 東京都渋谷区 |
出身校 | 早稲田大学 オレゴン大学大学院 |
前職 | 講談社従業員 労働大臣 衆議院議長 |
所属政党 | (日本進歩党→) (民主党→) (同志クラブ→) (民主自由党→) (自由党→) 自由民主党(大野派→船田派→村上派→江藤・亀井派) |
称号 | 従二位 勲一等旭日桐花大綬章 衆議院名誉議員有資格者 政治学修士 |
第65代 衆議院議長 | |
在任期間 | 1986年7月22日 - 1989年6月2日 |
天皇 | 昭和天皇 明仁 |
第43代 衆議院副議長 | |
在任期間 | 1961年6月8日 - 1963年10月23日 |
衆議院議長 | 清瀬一郎 |
内閣 | 鈴木善幸内閣 |
在任期間 | 1980年7月17日 - 1981年11月30日 |
第29・31代 労働大臣 | |
内閣 | 第2次佐藤内閣第3次改造内閣 第3次佐藤内閣改造内閣 |
在任期間 | 1968年11月30日 - 1970年1月14日 1971年7月5日 - 1972年1月28日 |
選挙区 | (兵庫1区(大区)→) (旧兵庫2区→) 比例近畿ブロック(兵庫9区) |
当選回数 | 20回 |
在任期間 | 1946年4月11日 - 2000年6月2日 |
原 健三郎(はら けんざぶろう、1907年〈明治40年〉2月6日 - 2004年〈平成16年〉11月6日)は、日本の政治家。位階は従二位。勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
衆議院議員(20期)、衆議院議長(第65代)、衆議院副議長(第43代)を務め、また国務大臣としては労働大臣(第29代・第31代)、国土庁長官(第9代)、北海道開発庁長官(第43代)を歴任。