掲載時肩書 | オリエンタルランド会長&CEO |
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掲載期間 | 2017/05/01〜2017/05/31 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1936/01/05 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 81 歳 |
最終学歴 | 慶應大学 |
学歴その他 | 開成高 |
入社 | 京成電鉄 |
配偶者 | |
主な仕事 | OL出向、経理、漁業交渉、TDL.コンセプト、TDS,リゾートホテル、 |
恩師・恩人 | 高橋政知 |
人脈 | 川崎千春、江戸英雄、友納知事、茂木友三郎、武藤一治、高橋公郎、秋元成太、大塚弘、 |
備考 | 夢追い人間 |
1936年〈昭和11年〉1月5日 – )は東京都生まれ。日本の実業家。株式会社オリエンタルランド代表取締役会長兼CEO。東京都江東区出身。新宿区在住。東京ディズニーリゾートの生みの親で、ディズニーヲタクからは「かがみん」の愛称を付けられている。氏は、この「履歴書」に登場したオリエンタルランド社の高橋政知(1999年7月掲載)に次いで二人目である。
1.高橋政知さん
氏は、この高橋を恩人と書いているが、次のように人物評をしている。「無類に酒が強く、腕っぷしも強い。漁民たちとの交渉では酒を飲みながら胸襟を開いて誠心誠意ぶつからないと埒があかない。酒豪で豪放磊落な高橋さんがうってつけ」と。しかし、高橋専務が出す一晩に月給の何倍にもなる高級料亭の領収書を京成電鉄の川崎千春社長が黙認し、加賀見が処理した。交渉責任者の高橋専務は、反目しあう2つの組合の幹部を、同日同時刻に隣接する2軒の料亭に呼んで接待をした。一方に漁業補償の条件を提示すると、間髪をいれずにもう一方に同じ条件を提示して、両組合の信頼を得て、3年かかる補償交渉を半年足らずで決着させたという。
2.漁業組合との交渉
この箇所を高橋は次のように「履歴書」に書いている。「安い酒では交渉はうまくいかない。ちゃんとした料亭に行かないと、彼らも承知しなかった。連日、新富町や日本橋あたりの料亭で飲めや歌えやの大騒ぎだった。漁民との交渉のため、最初の一カ月で酒代を80万円ほど使ってしまった。大卒の初任給が1万5千円ぐらいの時代である。しかし、漁民と付き合っていくには、時として領収書をとれない金も多かった。その出費もバカにならない。どうしても身銭を切らなければならなかったので、当時住んでいた妻の実家である東京・渋谷の千6百坪の屋敷を売り払ってしまった。現在、渋谷の邸宅跡はニュージランド大使館となっている。妻は、その前を通るとき、プイと横を向いて、私に口をきいてくれないものだ」と。悲惨だがほほえましい。
3.テーマパーク「海」のコンセプト
私は1993年6月に副社長に就任した。海のテーマパークのコンセプトを固める議論が始まろうとしていた。94年6月、社内のさまざまなセクションから5人の社員を選抜して「コンセプトチーム」を立ち上げた。ディズニー社のクリエイターたちと侃々諤々の熱い議論を交わすのが狙い。大げさに言えば日の丸を背負っている。責任は重い。
日米両社でコンセプトを具体化する中で、最も時間を費やしたのがアイコン(パークを象徴する建造物)だった。はじめは「灯台でどうか」と話を進めていた。だが米国と日本ではイメージが異なる。米国では灯台は冒険の守り神。でも日本では違う。船の航行の安全を守る重要な存在だけれども、孤独、哀愁、寂寥の印象も付きまとう。ディズニー社のスタッフを灯台に案内したりして、時間をかけて検討を重ねた。
その結果、アイコンは大きな水の惑星をイメージした「ディズニーシー・アクアスフィア」に決まった。高橋会長の強い意向だった。宇宙から見た地球は宝石箱のように輝き、生命力に満ちているとのリポートを読んで「パークにも生命の輝きと感動を」というのだ。コンセプトをパークの具体的な計画に結実させるため、東京ディズニーシー・ホテルミコラスタの建設をした。初めてのパーク一体型のホテルである。開園と同時の開業を目指した。
4.東京ディズニーシーの開園
1995年6月に社長に就任した。そして経営方針として、第二パークの建設、舞浜駅前開発、ホテル事業への進出、新交通システムの導入、そして株式上場、この舞浜地域を首都圏の一大リゾート地域にする大計画。そして水面下で準備を挙げて取組んだ。
2001年、東京ディズニーシー(TDS)は無事、開園にこぎ着けた。アトラクション23,物販ショップ32、レストランなど飲食施設33.海をテーマに冒険とイマジネーションで彩った。時間と手間をかけて造り上げた。「大人も楽しめるテーマパーク」を標榜し、東京ディズニーランド(TDL)と違って一部のレストランではアルコールも飲める。アトラクションやショーの質の高さはTDLと同様だが、パークの異国情緒溢れる雰囲気など、また違った魅力を打ち出した。
私には施設の一つひとつに愛着がある。ヴェネツィアの運河をゴンドラに乗って周遊する「ヴェネツィアン・ゴンドラ」。ゴンドリエと呼ぶ漕ぎ手が朗々と歌を歌う。「センター・オブ・ジ・アース」はフランスのSF作家、ジュール・ヴェルヌの作品世界が広がるアトラクションだ。TDSの中央にそびえたつプロメテウス火山の中を地底走行車に乗って探検するなどである。
5.ディズニーランドの次の目標
2013年4月、TDLは開園30周年を迎えた。記念イベントのテーマは「ハピネス」。メーンプログラムの一つであるパレードの名称は「ハピネス・イズ・ヒア」にした。幸せはこの場所にある、というメッセージだ。シンプルな言葉に私たちの日頃の思いを込めた。この年度の入場者数は初めて3000万人を突破した。「瞬間風速」の数字と見ていたが、キープし続けている。「コンスタントに年間3000万人」は社内の目標だったが、予想よりかなり早く達成した。うれしい誤算だった。
しかしこれからは、第一ステージの浦安埋め立て、第二はTDLの開業、第三はTDSの開業とリゾート体制ができ上がり、第四の今は大規模なエリア開発でリゾートの拡充を目指すという次の夢を追い求めている。
かがみ としお 加賀見 俊夫 | |
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生誕 | 1936年1月5日(88歳) 日本 東京都江東区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1958年 - |
団体 | 京成グループ(三和グループ) |
著名な実績 | 東京ディズニーリゾートの開業 |
肩書き | 株式会社オリエンタルランド代表取締役取締役会議長 |
任期 | 2023年 - |
受賞 | ディズニー・レジェンド(2008年) 第4回全広連日本宣伝賞松下賞(2016年) |
加賀見 俊夫(かがみ としお、1936年〈昭和11年〉1月5日 - )は、日本の実業家。株式会社オリエンタルランド代表取締役取締役会議長。東京都江東区出身。新宿区在住。東京ディズニーリゾートの生みの親。