加藤卓男 かとう たくお

芸術

掲載時肩書陶芸家
掲載期間2002/04/01〜2002/04/30
出身地岐阜県
生年月日1917/09/12
掲載回数29 回
執筆時年齢85 歳
最終学歴
国立京都磁器試験場
学歴その他Finland工芸美術、バクダッド大
入社
配偶者見合
主な仕事原爆(被ばく)、ペルシャ陶器(ラスター彩:20年)は織部と共通、世界で発掘40回、技術と芸術、正倉院三彩復元
恩師キアニ博士、アッカーマ ン夫人
人脈加藤唐九郎、荒川豊蔵、三上次男、深井晋司東大教授、安藤鼎一(釉薬)
備考父:美濃焼5代目 幸兵衛
論評

1917年(大正6年)9月12日 – 2005年(平成17年)1月11日)は岐阜県生まれ。陶芸家。ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現。

1.ペルシャ陶器・ラスター彩
1961年7月、初めて訪れたイランで、まずペルシャ美術の粋を集めたテヘランのイラン国立考古博物館を見学した。私は展示されているペルシャ陶器に一目ぼれしてしまった。とりわけラスター彩という怪しい黄金色のきらめきを放つ焼き物の虜になった。私は42歳だった。その折、同館の技官、M・Y・キアニ博士に会ったのが、運命の分かれ目となった。ラスターとは英語で「輝き」「きらめき」という意味で、金のようなストレートな輝きではない。光を複雑に反射するオパール現象によって輝く。玉虫色のように微妙で蠱惑(こわく)的な、古代ペルシャの秘技なのである。私は目の前にある9世紀から10世紀に生まれた妖艶にきらめく名陶に、感動し衝撃を受けていた。反射的に、ラスター彩をこの手で復元しようと決心してしまった。

2.自称「発掘屋」
初めてのイラン訪問以来、滅び去った幻の名陶、ラスター彩復活の手掛かりを求めて、私はまるで巡礼のように西アジアの砂漠をさ迷い歩いた。古窯跡の発掘を繰り返し、陶片を分析し、試作を続けた。今日までに行った窯の焼成は2500回を下るまい。どうやら納得のいくラスター彩陶器が焼けるまでにほぼ20年。人生の大半をこの焼き物にかけてしまった。またラスター彩は絵織部のように釉薬がかかり色鮮やかであった。

3.恩人・アッカーマン夫人
彼女はイスラム美術の権威だった米国の故A・U・ポープ博士の夫人だった。1968年に訪ねた際、既に80歳を過ぎておられたが健在で、ポープ博士の残された体系的な調査資料に沿って丁寧に説明くださった。
 そのなかで「ラスター彩陶器を焼くには、まず二重構造の窯で本体と釉薬の焼成を行い、続いて低火度の強還元焼成でラスター彩の仕上げ焼きをするとよい」と。復元の鍵となるさまざまな「秘術」を、知りうる限り授けてくださった。私の最も悩んでいた窯の構造と焼成の技法の迷いが、この言葉で吹っ切れた。
 今日、私が焼いているラスター彩陶器は、酸化錫(すず)を加えた錫白釉の本焼成の段階で、約1150度
ないし1180度ほどの高温を用いている。そのためペルシャの陶器のような、もろいとか水漏れするといった材質的欠陥は殆どない。なぜなら、イラン、イラクなどの粘土は、岩塩その他のアルカリ成分、石灰成分が非常に多い。この地方産出の生粘土と郷里・美濃のものの成分を比較すると、イランのものはカルシュウム分が12倍、ナトリュウム分が優に20倍を超える。マグネシウム、カリウムも多い。美濃土を使う所以である。

4.技術と芸術
芸術が本質的に美的価値の創造を目的とするのに対して、技術は発想・構想を助けて、どのように芸術的価値を生み出すかといった際の下働き的な役割を果たす。陶芸を含めて工芸とはいわば技術のイメージ化である。よき技術なくしては良い工芸制作の出発点に立つことはできない。
 われわれがものをつくる場合、まず構想を練ることから始める。つくる焼き物の材質、形状、文様、焼成などについて構想を練る。次いで構想を成立させる「わざ」の問題が絡んでくる。この制作の基になる技を技術と呼んでいる。
 工芸にとっては技術の錬磨が何より大切であり、繰り返し反復することが技術を高める。上手な轆轤(ろくろ)師によって壺がつくられるのを見ていると、何か目の前で奇術が行われているような錯覚に陥る。

加藤 卓男(かとう たくお、1917年大正6年)9月12日 - 2005年平成17年)1月11日)は、陶芸家ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現。岐阜県名誉市民、多治見市名誉市民。

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