別所毅彦 べっしょ たけひこ

スポーツ

掲載時肩書野球解説者
掲載期間1986/12/03〜1986/12/31
出身地兵庫県神戸
生年月日1922/10/01
掲載回数29 回
執筆時年齢64 歳
最終学歴
日本大学
学歴その他
入社南海
配偶者料亭娘
主な仕事47完投、投手で4番、巨人、310勝、 打率3割2回、大洋、ヤクルト監督、
恩師島秀之助
人脈青田昇、別当薫、岩本義行、沢村栄治、若林忠志、灰田勝彦、東富士、鶴田浩二、川上哲治、三原修、木川田一隆、鳩山一郎
備考大名の子孫、健康優良児(神風正一も)
論評

1922年10月1日 – 1999年6月24日)は兵庫県生まれ。プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。1949年3月28日に南海から読売ジャイアンツへの移籍が実現したが、その後も長きにわたってエースとして君臨。1951年は3年ぶり3度目のベストナインを受賞。1955年には23勝を挙げて最優秀防御率を獲得し、ベストナインと二度目の沢村栄治賞を受賞。初代沢村栄治賞受賞者でもあり、史上初複数球団での沢村賞を受賞。セ・リーグの投手初の最高殊勲選手(MVP)受賞と共にセ・リーグ投手最多タイ記録となる最高殊勲選手(MVP)を2回受賞している。シーズン最多完投の日本記録保持者(47完投)。また投手最多となるベストナインを6回受賞している。

1.投手の心境変化
がむしゃらに突進して来た私の心境が微妙に変わったのは投手としての晩年を迎えてからだ。300勝を目前にしながらどうしても勝てなくなった。そうなるとナインや首脳陣に不満をぶつけたりする。
 そんな時に初めて、自分の力ではどうにもならないことがある、と気が付いた。自分が勝てたのは自分一人の力ではなく、ナインみんなのバックアップがあったからこそと。ピッチャーというのは孤独なものだが、一人では勝てない。そんな感謝の念を持ったときにあっさり勝てた。現場を離れた現在では、人間は生きているのではなく「生かされている」と思うようになっている。

2.沢村栄治投手の教え
若くして伝説となった沢村さんは、戦前は全投手の目標だった。浮き上がるような低めの速球を誰もが投げたいと思っていた。私がプロ入りしたとき、沢村さんは兵役で右ヒジを痛めていて全盛期のスピードはなくなっていたが、15年(1940)には名古屋を相手に3度目のノーヒット・ノーランを演じていた。
試合前に挨拶に行き「今度南海に入りました別所です。よろしくお願いします」と頭を下げた。すると「お前が別所か、知っているぞ。しっかり頑張れよと」と言ってくれた。さらに私は「私も沢村さんのような速球を投げたい。ひとつコツを教えていただけませんか」と尋ねた。沢村さんは「よし教えてやろう」とたった一言話してくれた。それは「は・し・れ」だった。いわれた当座は意味が解らなかった。よく考えると、走ることは足腰の鍛錬になるのは勿論だが、手を振り肩を振ることで地肩を強くする効果がある。これを「走れ」の一言で教えてくれたのが沢村さんだった。

3.最多完投は日本最高
昭和22年(1947)、私は南海で投げまくった。55試合に登板、50回先発のうち47完投、30勝19敗、防御率1.86の成績だった。シーズン47完投は今でも日本最高であるし、投球回数448回1/3を上回る投手はこの年以降出ていない。チーム119試合のうち50試合を投げ切り、59勝の半分以上を一人で稼いだ計算になる。

4.全盛期はバットも好調
プロ入りしてからも、打撃を買われて、投げないときは一塁か外野を守り、3,5,6番を打った。21年(1946)には一塁手6番で2本、22年には一塁手3番で1本、24年には右翼手5番で1本と、野手で4本塁打を記録している。
 私の打撃通算成績は1972打数、500安打、打率2割5分4厘,35本塁打。投手として打った31本塁打は当時日本最多であったが、これも金田正一君(国鉄―巨人)に抜かれてしまった。むしろ私が誇りに思っているのは同時に20勝以上と打率3割以上をただ一人2回(23年、25年)にマークしていることだ。投手でなくても打者で成功していたかもしれないと思っている。

別所 毅彦 (別所 昭)
Bessho Takehiko.JPG
1955年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県淡路市
生年月日 1922年10月1日
没年月日 (1999-06-24) 1999年6月24日(76歳没)
身長
体重
181 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1942年
初出場 1942年10月10日
最終出場 1960年10月3日
1962年3月5日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
野球殿堂(日本)
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選出年 1979年
選出方法 競技者表彰

別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手投手)・コーチ監督解説者評論家

初代沢村栄治賞受賞者でもあり、史上初複数球団での沢村賞を受賞。セ・リーグの投手初の最高殊勲選手(MVP)受賞と共にセ・リーグ投手最多タイ記録となる最高殊勲選手(MVP)を2回受賞している。シーズン最多完投の日本記録保持者(47完投)。また投手最多となるベストナインを6回受賞している。

旧名および本名は「別所 昭(べっしょ あきら)」。 愛称は「べーやん」「鬼軍曹」。

巨人時代に残した221勝は今も球団最多勝利記録。

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