内ヶ崎贇五郎 うちがさき うんごろう

電気・ガス

掲載時肩書東北電力社長
掲載期間1959/10/15〜1959/11/02
出身地宮城県富谷村
生年月日1895/09/25
掲載回数19 回
執筆時年齢64 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他二高
入社大阪電燈
配偶者福沢桃助紹介(諭吉弟子娘)
主な仕事日本水力、大同水力、東北配電、 東北電力、仙台商工会頭
恩師・恩人福沢桃助
人脈山本条太郎、福沢桃助(愛人:貞奴)、後藤一郎、西尾末広(労組)、町村金吾
備考酒造家、大酒豪(60年間で60石)
論評

1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は宮城県生まれ。実業家。1919年(大正8年)に大阪電燈に入社。大阪電燈が大阪市営になって後は大同電力に移り、第二次世界大戦時に設立された日本発送電東北支店長・東北配電社長を歴任し電力事業に一貫して携わった。1951年(昭和26年)5月1日、第二次世界大戦後の電力事業再編に伴う、日本発送電・東北配電の解体・改組に伴い設立された東北電力の初代社長に就任。1960年(昭和35年)まで務めた。社長時代には八戸火力発電所建設を始めとする東北地方の電源開発に力を入れ、その傍らで仙台商工会議所会頭・日本商工会議所副会頭を歴任。産業計画会議にも委員として参画した。

1.福沢桃介師と貞奴女史
大正10年(1921)1月、大同電力の誕生によって私は日本水力から大同電力への出向となった。この発電所建設のため、大正11年8月に読書発電所の建設地、長野県西筑摩郡読書村に転じたのである。この発電所建設工事は大同電力としても大仕事で、社長の福沢桃介さんが陣頭指揮をとり、全力を挙げていた。現場には1号、2号と2つの宿舎があり、1号は一般社員の合宿舎、2号が社長の宿舎であったが、そこへ当時56,7歳だった桃介社長が時々やってきた。ところが社長だけが来るならいいが、例の貞奴女史を必ず一緒に連れてきた。
 現場では士気を鼓舞するために来る社長が、そういう付き添いを連れてくるとはけしからんといった空気が強かった。面と向かって言うわけにはいかないが、夜若い者同士が集まり酒がまわると、話は必ずそれになった。特に私は大いに福沢社長の攻撃をやった。ところがあるとき隣座敷に福沢社長の護衛の人が泊っていて、それを聴いていたらしく、仲間のある一人が「君は偉いことを喋ったそうだな。きっと社長からそのうち呼び出しが来てクビにされるだろう」と心配して教えてくれた。それに対し私は「あんなことを言っただけでクビにするならそれもいいだろう。バッサリやってもらおう」などと、大きなことを言っていたが、内心はびくびくだった。
しかし、何年か後、社長の関西出張時に秘書役を命じられ、人との付き合い方、物事の判断の仕方など親身に教えていただいた。その時、やっぱり貞奴にうつつを抜かしているばかりでなく、立派な人物であると感心したわけだ。この後、桃介社長が今の家内を紹介してくれ結婚することになるが、その日の秘書役で人物試験に合格したことになるのだろう。

2.大酒豪の実績(60年間で60石)
私は3歳で父に死に別れてから祖母に可愛がられた。この祖母は死ぬ前まで晩酌に2本を欠かさなかった酒豪で、そのご相伴でときどき飲まされたらしい。だから私の飲み始めは3歳のときかも知れない。そのうえ家が酒屋だから、おいおい強くなった。若い時は軽く1升は飲んだ。晩酌も病気するまで3本がお決まりだった。病気回復後、医者の命令で禁酒していたが、最近いったい今までにどれほど飲んだだろうかと計算してみたら、30石樽で2本はゆうに飲んだ勘定になった。60年間で日本酒オンリーで60石飲んだ。我ながらよく飲んだものだ。

3.東北電力の誕生
東北発電を始め8つの配電会社もだんだん経営の基礎が固まってくるとともに、日本の電気事業の再編成という問題が提唱された。その結果日本発送電は昭和26年(1951)5月、9つに分割されて電力再編成が完成、東北配電は今の東北電力となった。
 私は、日本発送電を創立した時、その創設の先頭に立って奔走したが、終戦後の日発の仕事ぶりをみると、すでに老衰期に入ってやるべき仕事はまず終えていた。それで日発のためにもむしろ解散した方が良いという信念のもとに電力再編成に賛成し、今度は日発解体の先頭に立ったわけだ。

本来の表記は「内ヶ﨑贇五郎」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
うちがさき うんごろう
内ヶ﨑 贇五郎
生誕 (1895-09-25) 1895年9月25日
宮城県黒川郡富谷町(現・富谷市
死没 (1982-09-22) 1982年9月22日(86歳没)
国籍日本の旗 日本
出身校東京帝国大学工学部
職業電力事業者
活動期間1951年(昭和26年) - 1982年(昭和57年)
受賞宮城県仙台市名誉市民

内ヶ﨑 贇五郎(うちがさき うんごろう 1895年(明治28年)9月25日1982年(昭和57年)9月22日)は、日本実業家

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