掲載時肩書 | 文化庁長官、作家 |
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掲載期間 | 1969/08/22〜1969/09/15 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1903/11/06 |
掲載回数 | 25 回 |
執筆時年齢 | 66 歳 |
最終学歴 | 東京大学 |
学歴その他 | 浦和 |
入社 | 美術研究所 |
配偶者 | 林佳子 |
主な仕事 | 神戸青春、藤間春枝(吾妻徳穂)事件、渡仏、明治大学、文部省、文化庁、芸術祭、 |
恩師・恩人 | 辰野隆教授 |
人脈 | 吉川幸次郎(小)、諸井三郎・河上徹太郎(高)、小林秀雄・中島健藏・舟橋聖一・三好達治(大)、井伏鱒二、川端康成、永井龍雄 |
備考 | 兄・東光、菜食主義者 |
1903年(明治36年)11月6日 – 1984年(昭和59年)7月30日)は北海道函館市生まれ。小説家、評論家、舞台演出家。1924年(大正13年)に開場した築地小劇場を観て演劇に熱中し、1925年に村山知義・河原崎長十郎・市川団次郎・池谷信三郎らが結成した劇団『心座』の演出に加わった。また、中学の頃からチェロを始め、音楽に打ち込んでおり、高校以来の親友諸井三郎が、1927年(昭和2年)に始めた音楽運動「スルヤ」に関係した。1928年に『文芸都市』誌、1930年(昭和5年)には『作品』誌の同人となり、のちに『文學界』誌の同人に加わり、評論・随筆・翻訳を載せた。左翼に動じぬ正統芸術派的立場であった。初代文化庁長官を務めた。
1.兄・今東光
明治末から大正初めに、神戸で小学校に入った。兄(東光)も同じ学校だったが、絵が好きで、また和歌を詠んだり、いわゆる文弱の徒だった。そして数学や英語を怠けるといっては受け持ちの先生に叱られていた。数学の先生の家に預けられたりもしたが、一層数学の勉強に身が入らず、学校を怠けて、スケッチに歩いていたようだ。母は学校に呼び出されたり、先生の訪問を受けたり、兄にかかずらって、私には注意が及ばぬ風だった。母も気の毒だが、兄も可哀そうだと思った。子供は学校過程を踏むならば平凡でなければならぬのだ。兄は非凡というよりは、ケタ外れだった。当時の教育はケタを外すことは許されぬことだった。
当時の学校は質実剛健、国は富国強兵を目的にしていたから当然かもしれない。兄が中学過程さえ終えることは許されず、二度も放校の憂き目を見、遂に単身東京へ去り、画学校へ入った。
2.生涯の友・小林秀雄との出会い
大正14年(1925)に東大仏文科に入った。いつものように私はバラックの研究室でひとり本を読んでいると、奇妙な男が荒々しく入って来て、書棚を物色していた。黒い背広に黒ネクタイ、黒いソフトを被っていたが、帽子の先端に1ケ所小指が入るぐらいの穴が開き、そこから粗剛な頭髪が突き出ていた。教師とも学生ともつかぬ格好である。やがて彼はいきなり私の隣りの椅子にかけ、「何を読んでいるんだ?」と読んでいる本を取り上げ、「何だ、おれはこの本を探していたんだ。貸してくれ」。
私は乱暴な奴だとは思ったが、一両日中に買いに行こうと思っていた矢先なので、承知した。「すぐ返すからな。来週の今日持ってきてやらぁ」。どうも乱暴な物言いだが、またどこか人の良さそうなところがある。しかしにこりともせず、人を睨みつけるような眼差しが鋭かった。「君は小林君ではないか」というと彼だった。
「これァいけねェ、おれには女があるんだ。そいつが待っている。おれが帰るまで1分1厘動かずにいるんだからな」。後も見ずに出て行った。爾来小林とは今日まで交遊が続いている。
3.舟橋聖一と共同演出
私は大学同期の舟橋に勧められて、「心座」という新劇団に入団した。彼は大学に入ると同時に結婚し、戯曲や小説を書いて文壇に出る機会を窺っていた。「心座」の最初の公演がルノルマンの「時は夢なり」(岸田国士訳)で舟橋と演出を担当した。役者は歌舞伎界の河原崎長十郎、市川団次郎(現寿美蔵で寿海の弟)で、女優はベテランの花柳はるみや伊藤智子等だった。
経営の方法は公演する劇場をまず決め、何日間と公演日数を決めると、それから経費を算出する。大体の総額が出ると、それを心座同人たちで切符を売ることによって負担額を割り振るのである。座長の長十郎が最も多く売るのは勿論だが、歌舞伎界では毛並みがよく、従って贔屓客も大勢いたから当然としても、私より1歳上で、よくもこれだけ切符を売る能力を持っているものだと驚いた。
心座の俳優たちの間には思想的色分けがなかったが、われわれ演出部の中で村山知義は赤(左翼)、私と舟橋は無色という具合に分かれ、村山はどうしても無色と協力することを承知しなかった。
今 日出海 (こん ひでみ) | |
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小国英雄(右)とともに(1949年) | |
誕生 | 1903年11月6日 北海道函館市 |
死没 | 1984年7月30日(80歳没) 神奈川県鎌倉市 |
職業 | 小説家、評論家、翻訳家 初代文化庁長官(1968-1972) |
国籍 | 日本 |
教育 | 学士(文学) |
最終学歴 | 東京帝国大学仏蘭西文学科卒業 |
代表作 | 『天皇の帽子』(1950年) |
主な受賞歴 | 直木三十五賞(1950年) 勲一等瑞宝章(1974年) 文化功労者(1978年) |
デビュー作 | 『大いなる薔薇』(1940年) |
親族 | 今東光(兄) |
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今 日出海(こん ひでみ、1903年(明治36年)11月6日 - 1984年(昭和59年)7月30日)は、日本の小説家、文芸評論家、舞台演出家。
初代文化庁長官を務めた。