下村脩 しもむら おさむ

学術

掲載時肩書生物化学者
掲載期間2010/07/01〜2010/07/31
出身地京都府
生年月日1928/08/27
掲載回数
執筆時年齢82 歳
最終学歴
長崎大学
学歴その他長崎医科大
入社プリンストン
配偶者薬学部後輩8下
主な仕事海ほたる→オワンクラゲ25万匹(GFP20万匹:N賞)、
恩師安永峻伍 (長崎)
人脈長崎原爆、平田正義(名大教授)、南部・益川・小林(N賞同時)、
備考発酵生物
追悼

氏は’18年10月19日90歳で亡くなった。この「履歴書」に登場したのは2010年7月の82歳のときだった。冒頭、氏は「手掛けた発行生物は日本でのウミホタルを皮切りに、渡米後はオワンクラゲやオキアミ、ホタルイカ、発光キノコなど1ダースにもなる。これだけ研究してもなお、発光生物の世界は謎に満ちており、興味が尽きることはない」と書いている。

ノーベル賞の対象となるオワンクラゲの発光にかかわるたんぱく質の研究に成功したのは、その直前に日本で最初に手がけたウミホタル結晶化の知識があったからだった。千葉の海にはウミホタルがたくさんいるが、その精製物に濃塩酸を加えることで、だれも予想しなかった偶然の方法で、結晶ができたのだった。以来、この成功が「どんな難しいことでも努力すればできるという信念を得ることができた」と述懐している。

オワンクラゲの採集とその発光物質イクリオンの抽出作業は、10数年間、毎年夏になると、氏の家族と研究グループが大陸を横断し、クラゲ採りのシーズンを過ごした。クラゲ採りは朝6時に開始。グループの一部は8時にクラゲの発光部分を切り取る作業。午後は全員でクラゲからイクリオンを抽出し、夜は7時から9時まで、翌日処理するためのクラゲを採る。毎日15時間労働だった。「私と妻はもちろん、二人の子供たちも3~4歳のころから特製の短い柄の網でクラゲをすくっていた。67年から5年をかけて25万匹ものクラゲをとり、そこから抽出した成分を基に構造を決定できた」。

オワンクラゲから得た緑色発光たんぱく質(GFP)は、オワンクラゲの発光の研究中に副産物として発見されたのであり、この発光クラゲの研究なくしてはその発見はなかったと。現在、GFPとそれを改良した蛍光たんぱく質は、生体内のたんぱく質や組織に印をつけるマーカーたんぱく質として、世界中で広く使われ、医学や生物学の研究に欠くことのできない道具になった。これが高く評価されノーベル賞につながった。

下村 脩
Shimomura Osamu 1-2.jpg
生誕 (1928-08-27) 1928年8月27日
日本の旗 日本京都府福知山市
死没 (2018-10-19) 2018年10月19日(90歳没)
日本の旗 日本長崎県長崎市
居住 日本の旗 日本
満州国の旗 満州国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本の旗 日本
研究分野 生物学
研究機関 旧制長崎医科大学
プリンストン大学
名古屋大学
ボストン大学
ウッズホール海洋生物学研究所
出身校 佐世保中学校(現・佐世保南高等学校) 旧制長崎医科大学附属薬学専門部(現・長崎大学薬学部)
博士課程
指導教員
平田義正
主な業績 イクオリンの発見
緑色蛍光タンパク質の発見
主な受賞歴 朝日賞(2006年)
文化功労者(2008年)
文化勲章(2008年)
ノーベル化学賞(2008年)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2008年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と開発

下村 脩(しもむら おさむ、1928年昭和3年)8月27日 - 2018年平成30年)10月19日)は、生物学者(有機化学海洋生物学)。学位理学博士名古屋大学、1960年)。ボストン大学名誉教授ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。

[ 前のページに戻る ]