三浦雄一郎 みうら ゆういちろう

スポーツ

掲載時肩書プロスキーヤー
掲載期間2006/09/01〜2006/09/30
出身地青森県
生年月日1932/10/12
掲載回数
執筆時年齢74 歳
最終学歴
北海道大学
学歴その他弘前高
入社助手
配偶者学長秘書
主な仕事蔵王縦走小4年、90m初jamp,130kg強力、海外武者修行、富士・エレベスト滑降、academy賞、第3stage,キリマン・南極、
恩師父101歳
人脈仲代達矢、猪谷千春(森中1上)、直己、慎太郎、祖父・政治家、父・営林局・スキー
備考
論評

「夢(目標)があるから元気になれる」と三浦氏はいう。「元気だから80歳でエレベストに昇るのではない」と。5月23日、丸の内朝飯会でエレベスト登頂支援隊に1週間前まで参加していた竹岡誠治さんが、この話をしてくださった。丁度この日7:30から卓話が始まったが、この時間は三浦本隊(4人)が頂上を目指して最終アタックのときであった。最後のベースキャンプ(8500m)から山頂(8848m)までの348mを8時間かけて登っている時だという。気温は零下15度だが、零下30度の防寒靴や手袋を着けた重装備に、20kgの背嚢を担ぎ、45度の斜面を登るのは危険で苦しく、1歩あゆんでは10回呼吸する速度になる。

三浦本隊は日本人10人で、現地ネパールスタッフは19人の合計29名。本隊は医師、気象専門家、映像専門家、記録担当、通信担当、登山担当などに別れているが、登頂アタックの4人は、三浦雄一郎氏、豪太氏、倉岡氏は登山隊長、平出氏は映像担当だ。映像担当はリモコンのヘリコプターも持参し、登山状況を迫力ある空撮にする。現地スタッフは、サーダーとキッチンボーイという二人のリーダーがおり、サーダーはシェルパのリーダーでコック長は全員の料理を作る責任を持つ。本隊が現地入りしたのは3月の下旬、高山病を克服する訓練で体を慣らしながら、キャンプ1(6050)から5(8500)まで登った。これら本隊を食料や機器などを補給する役割がエレベスト登頂支援隊である。竹岡氏ら支援隊は7名(うち、女性3名)だが、現地スタッフ14名を入れると、計21人のパーティになる。彼が差し入れた高級抹茶を本隊10人は最後のベースキャンプで、粋な茶会で英気を養い出発してくれたはずという。

彼の現地取材情報によると、今回エレベスト登頂を目指す世界のパーティは20組ほどがある。年間トレッキング可能な期間は、3月~5月、9月~11月で実質4ケ月ぐらいだ。だから5月末までに天候を見ながら登らなければならない。シエルパやキッチンの日当は2000円程度、ポーターは1000円程度だが、山の高さにより運搬役を牛、ヤク、ロバ、馬などに使い分けるが、その1頭の使役料はポーターの2倍~5倍となる。今回の登頂計画プロジェクトの総予算は約2億円にもなるが、サントリーを始め8社が協賛、そして一般市民400名から約1000万円が集まったという。今年10月12日は雄一郎さんの81歳の誕生日になるが、当日15:00から17:00まで三浦豪太さんが丸の内朝飯会で、この話「大人の冒険学校:エレベスト登頂」を麹町のグリーンパレスホテルで映像を混じえて講演してくださることになっている。広く一般の方にも開放しますので、みなさんのご参加もお待ちしています。必要なら案内状もお送りします。

三浦 雄一郎
Yuichiro Miura cropped 3 Yuichiro Miura and Yoichi Masuzoe 200711.jpg
2007年11月、東京都千代田区にて
名前
本名 三浦 雄一郎
(みうら ゆういちろう)
ラテン文字 Yūichirō Miura
基本情報
国籍 日本の旗 日本
種目 山スキー
所属 ミウラ・ドルフィンズ
生年月日 (1932-10-12) 1932年10月12日(88歳)
生誕地 日本の旗 青森県青森市
居住地 日本の旗 日本

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本スキー選手登山家獣医師青森県出身。クラーク記念国際高等学校校長一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。

北海道大学獣医学部助手青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。

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