三島徳七 みしま とくしち

学術

掲載時肩書東大名誉教授
掲載期間1963/10/09〜1963/11/07
出身地兵庫県淡路島
生年月日1893/02/24
掲載回数30 回
執筆時年齢70 歳
最終学歴
東京大学
学歴その他一高
入社東大講師
配偶者三島(医師)入婿
主な仕事坂本中佐秘書、MK磁石合金、欧米研修旅行、総合工学研究所(大学)、中央試験研究所(業界)、鉄鋼業界会長
恩師・恩人福浦安郎、坂本左狂、俵国一教授
人脈西山弥太郎、谷川徹三(一高)、豊田喜一郎(東大同期)、後藤正治教授、ソーバー教授(ハーバード)
備考MK、MT磁石合金の特許を欧米でも取得
論評

1893年(明治26年)2月24日 – 1975年(昭和50年)11月19日)は兵庫県生まれ。冶金学者。アルニコ磁石を発見し、その一つとしてMK鋼の発明者として知られる。MK鋼は発電機、通信機、スピーカーなど様々な用途で使われ、世界で使われる永久磁石の8割を占めるまでになった。アルミニウム・ニッケル・コバルト系永久磁石は現代でもアルニコ磁石として頻繁に使われており、MK鋼はその先駆けとなった。1917年にKS鋼を発明した東北帝国大学の本多光太郎は磁石開発における競争相手であった。KS鋼に比べ、MK鋼は材料価格も安く、製造費用を抑えることができ、また、KS鋼の倍の500エルステッド以上の保磁力を有していた。本多は、1934年にMK鋼を上回る新KS鋼を開発し、MK鋼とほぼ同水準の材料を作りあげている。三島氏は座右の名:暢童心(童心を伸ばせ)を力説されていた。

1.金属組織学の講義(説明の仕方)
この研究はたいへん根気のいる仕事である。合金の内部組織を決めるには、まず平衡状態図というものを作らねばならない。たとえば鉄とマンガンの合金の場合、鉄にマンガン1%から100%まで、あらゆる組合わせの状態を細かく実験し、いろいろな測定器や顕微鏡などを使ってマンガンのはいり方を調べたうえ、状態図を作成するのである。何度で固まり始め、何度で固まり終わるか、その途中でどういう変化があるか、さらに固まってから常温まで冷える間にどんな変化を起こすかなど、一つひとつ調べていくのだから、二元合金でも少し複雑な状態図は数か月から一年もかかる。三元、四元系になると、途方もなく複雑になる。
この講義を学生にわかりやすくて面白いものにするため、このように話したのだった。
金属の化合物は硬くてもろいので特殊な目的にしか使えない。一般用の工業材料には強さも硬さも、ねばさも兼ね備えた合金が要請される。人間でいえば、さしずめ均衡のとれた円満な人でないといけないのだ。それには固溶体といって、互いによく溶け込んだ形が一番いい。砂糖が水に溶けて水溶液になるように、炭素が鉄に溶け込むと、ねばっこくて強い鋼になる。
 では合金になるときなぜ金属の性質が変わるか、それは一つの金属に他の元素が入って来ると、合金原子のはいり方によって原子間の距離や相互作用が変わるからである。これを家庭に例えれば、ある平和な家庭にお嫁さんが来たとする。もし性質のいいお嫁さんなら、家のものはその近くに座り仲良くなるが、悪いお嫁さんだとみんな遠ざかって寄り付かない。金属も親しみやすい合金元素が入って来ると、みんな近づいて仲良くなって、硬くて強くなるが、反対の場合は、恐れをなして遠ざかり、性質は悪くなる。

2.MK磁石合金の発明プロセス (Mは養家の三島、Kは実家の喜住の頭文字)
昭和6年(1931)、この研究は一応完成した。当時、鉄とニッケルの二元合金には、非常に特徴のある製品が2つ生まれていた。一つは仏国のギオムが発明した鉄にニッケル36%を入れた合金で、これは温度による膨張係数が非常に小さくメートルの原器になった。もう一つは米国のエルメンが発明したニッケル78.5%の「パーロマイ」と称する製品で、伝磁率が高く、海底電信の進歩に大きな貢献をした。
 鉄に入れるニッケルの量によって、このように画期的な特性を持つ2つの合金が発見された。この二元系をもっと詳細に研究すれば、更に変わったものが出てくるのではないか・・私はまずここに着目した。そして着目したのがニッケル鋼(ニッケル25%の鉄合金)の研究である。このニッケル鋼は当時無磁性材料として広く工業用に使われていた。鉄もニッケルも強磁性体であるのに、この両者の合金には磁性がない。それにこの合金の磁気変態点(磁性が変わるときの温度)は、温度を上げていく「行き」と、温度を下げていく「帰り」とでは400度ぐらいの開きがある。従ってこの合金を一度高温まで加熱して無磁性の状態にし、それを冷たい空気中で急に冷やすと、途中で磁気変態を起こさぬまま常温に達して無磁性になる。そうしたことから、この合金は「非可逆鋼」と呼ばれ、その現象は非常に珍しいものであった。
 私はこの合金の「行き」と「帰り」の変態点の400度差をちぢめていけば、新しい発見ができると思い、取り組んで成功したのだった。

3.西ドイツの復興の裏に
昭和28年(1953)3月末、私は東大を定年退職し名誉教授になった。この年の7月、私ども夫婦は西独ボッシュ社の招待で渡欧した。「20年前、全欧州の特許実施権をいただいたMK磁石についてその後の発展ぶりをお見せしたいし、改良研究についても助言を求めたい」という丁重な招待であった。
 まず目についたのは戦後の西独のめざましい産業復興と、それを成し遂げたドイツ人の勤勉さである。私がボッシュ社でまず聞かされたのも、涙ぐましい復興物語だった。第二次大戦が終わったとき、何一つない廃墟の中で、同社の再建に乗り出したのはたったの30人だったというが、私が訪れた昭和28年には従業員は2万6千人(現在6万人)に達し、工場施設も戦前よりもよくなって、製品の45%を輸出に向けていた。十分な利益をあげているのに配当はわずか3%、それもその年が最初だという。利益は全て研究費と工場施設につぎ込んできたのだ。
 しかも社長以下全員が午前7時15分に出社し、夕方5時までみっちり働くという勤勉さと、土、日曜日はゆっくり休養して英気を養うという合理性を備えていた。驚異的な発展もこのような裏付けがあってこそ、はじめて実現をみたのである。

三島 徳七みしま とくしち
MK磁石合金の反発を示す三島徳七
生誕 1893年2月24日
日本の旗 日本 兵庫県津名郡広石村
(現:洲本市五色町広石下)
死没 (1975-11-19) 1975年11月19日(82歳没)
日本の旗 日本 東京都
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 冶金学金属工学
研究機関 東京帝国大学
千葉工業大学
出身校 東京帝国大学
主な業績 MK鋼の発明
主な受賞歴 帝国学士院恩賜賞(1945年)
藍綬褒章(1950年)
文化勲章(1950年)
文化功労者(1951年)
勲一等瑞宝章(1966年)
プロジェクト:人物伝
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三島 徳七(みしま とくしち、1893年明治26年)2月24日[1] - 1975年昭和50年)11月19日)は、日本冶金学者アルニコ磁石を発見し、その一つとしてMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授[1]文化功労者勲一等旭日大綬章追贈。

  1. ^ a b “三島 徳七 ミシマ トクシチ”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/nnRZE 
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