モフタル・リアディ りあでぃ もふたる

商業

掲載時肩書リッポーグループ創業者
掲載期間2018/05/01〜2018/05/31
出身地インドネシア
生年月日1929/05/12
掲載回数
執筆時年齢89 歳
最終学歴
中国南京中央大学
学歴その他
入社家業手伝い
配偶者4歳下恋愛
主な仕事25歳でジャカルタに、銀行業、indonesia夜学(経済)、米国支店、中国に発電所、
恩師小学 恩師
人脈スノド・サリム(林紹良)、李嘉誠(香港)、習近平、スハルト、クリントン
備考
論評

氏は、この「履歴書」に外国人経営者で登場したのは、ゴードン・ムーア(インテル)、ヘルムート・マウハー(ネスレ)、ボブ・カルビン(モトローラ)、ジャック・ウエルチ(GE)、ルイス・ガースナー(IBM)、ルイ・シュバイツアー(ルノー)、ラタン・タタ(タタ・グループ)、タニン・チャラワン(CPグループ)、カルロス・ゴーン(日産・ルノー)に次いで10人目である。
氏はインドネシアに生まれ、中国福建省で6歳まで育ち、インドネシアに戻ったものの9歳で母を亡くし、13歳で父が進駐してきた日本軍に拘束されたので、自活し動乱期の世の中の辛酸をなめる。しかし聡明で先見性があったため、インドネシア最大の民間銀行を築き上げたが、90年代後半のアジア通貨危機を経験し銀行を手放した。そして土地開発と情報通信の2つの事業に絞り込んでアジア(シンガポール、マレーシア、フィリピン、ミャンマー、ベトナム、中国、香港)、オーストラリア、米国に拡がるグローバル企業へと育て上げた。この2つの事業内容を次のように書いている。
土地開発事業:土地を売るだけの不動産業者であってはならない。土地という資源をどう開発し、付加価値を増やすかに事業の本質がある。製造業でいえば土地は原材料であり、原材料を使って何を作り出すのかで価値が決まる。「その価値を売るのだ」として、開発土地には住居やモール(スーパー、百貨店、喫茶店、書店、劇場、児童遊戯場、映画館など)だけでなく、小中学校、大学、病院などサービスや公共施設など都市の生活に必要な場を提供したものだった。
情報通信事業:上記で衣食住に関わるすべての生活関連事業を手掛けているため、携帯電話やケーブルテレビ、さらにはコンテンツ供給のためにニュース専門のテレビ局も経営している。そうすると情報通信は地域のコミュニティ事業にもなっている。しかし、現在はeコマースの普及とともに電子マネーやモバイル決済も広がっている。小売りと情報通信、金融がデジタル化で融合しようとしている。そこで、このデジタル化が進む銀行業は、一種の情報通信産業であり、eバンキングこそが時代の流れと認識し、銀行業に再参入する。そして買い物はネット通信販売が台頭してきているため、小売事業でもネット通販会社を設立したのだった。
氏は華僑・華人の人脈を巧みに使い、中国語、インドネシア語、英語を使い分けグローバル企業に育てたが、子供も外国の大学で勉強させた。孫も様々な国で育ち、学び、働いている。氏の使う言葉もまちまちだ。氏は妻とは北京語かインドネシア語で話し、次男とはインドネシア語で、孫たちとは英語でコミュニケーションをとっているという。このような環境でないとグローバルな人材は育たないと思った。

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