掲載時肩書 | 元FRB議長 |
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掲載期間 | 2004/10/01〜2004/10/31 |
出身地 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1927/09/05 |
掲載回数 | |
執筆時年齢 | 77 歳 |
最終学歴 | 米国ハーバード大学 |
学歴その他 | プリン ストン |
入社 | NY連銀 |
配偶者 | 医師娘 |
主な仕事 | JPモルガン・チェース、財務省、FRB,ニクソン/ドル交換、プレストン、プラザ合意、長銀、 |
恩師・恩人 | 身長193 |
人脈 | 柏木雄介、ルービン・ジョージ・ソロス(英国で)、ロックフェラー、前川春雄、 |
備考 | 父母:ドイツ系 |
氏は2019年12月8日に92歳で亡くなった。この「履歴書」に登場は2004年10月で77歳の時であった。国際金融マンとして外国からの登場は氏に続き、アラン・グリーンスパン(元FRB総裁、2008年:82歳)であり、ジャンクロフォード・トリシェ(前欧州銀行総裁、2014年:72歳)の3人でした。
氏はプリンストン大学の卒業論文に「物価の安定と中銀の独立が経済成長に欠かせない」と書いた実績を持つ。そしてハーバード大をも卒業後に20代でニューヨーク連銀のエコノミストに起用された。その後、40歳の若さで米財務次官として国際舞台に立った。ニクソン・ショック後のプラザ合意の米国主役はベーカー財務長官であったが、財務次官として裏方で支えた。この舞台裏を柏木雄介(元大蔵財務官、1986年9月:69歳)がこの「履歴書」に詳細に書いてくれている。氏が格闘したのはドルという怪物だった。71年8月、ニクソン大統領は金とドルの交換を停止した。ドル相場を切り下げて貿易赤字を是正するためだ。結果として米国はドルを自在に操るフリーハンドを確保したが、この時、氏は財務次官として政策立案に直接携わったのだった。
氏は1980年代に「インフレファイター」として剛腕を発揮したが、経済成長には「物価の安定」「健全な金融」「良き政府」の3つの条件が必要と主張した。そして、米経済が10%を超える高インフレに悩んでいたとき、政策金利を20%に引き上げて「インフレ退治」を徹底し鎮圧した。しかし、現在のトランプ大統領が「物価は上がらない。ドル高是正には追加利上げが必要だ」繰り返し現FRB議長に圧力をかけている。これに対して、氏とグリーンスパンらは米紙に「政策当局がわずかなインフレを許容すれば、真のインフレを招くことなる」警告を発する寄稿を行った。この強力な中立・独立論でパウエル現FRB議長は、トランプ大統領の外圧に抗する力を得ていると思う。
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生誕 | 1927年9月5日![]() |
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死没 | 2019年12月8日(92歳没)![]() |
国籍 | ![]() |
母校 | プリンストン大学 ハーバード大学 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス |
ポール・アドルフ・ボルカー・ジュニア(英語: Paul Adolph Volcker、Jr.、1927年9月5日 - 2019年12月8日)は、アメリカ合衆国の経済学者。カーター、レーガン政権下(1979年 - 1987年)で第12代連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めた。ロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスフェロー。FRB議長として、アメリカを襲っていた高インフレに対処するため、政策金利を大幅に引き上げインフレを封じ込めた功績で知られる[1]。