トニー・ブレア トニー ブレア

政治

掲載時肩書英国前首相
掲載期間2012/01/01〜2012/01/31
出身地イギリス
生年月日1953/05/06
掲載回数
執筆時年齢58 歳
最終学歴
英国オックスフォード大学
学歴その他
入社弁護士 事務所
配偶者弁護士 同期
主な仕事30歳下院、41歳党首、43歳首相、北アイルランド、9.11、イラク、サミット中にテロ、
恩師
人脈ブラウン、ダイアナの死、ブッシュ、小泉、
備考
論評

1月の日経「私の履歴書」は英国のブレア前首相でした。昨年4月は米国のブッシュ前大統領でしたから、その比較も興味深いものでした。彼はサッチャー首相の18年間の保守党政権から労働党に政権を奪い取り、43歳から10年間首相として君臨しました。その中で私が興味深かった箇所を採り上げます。

彼は政権の座に着いたとき、「私は現政権を崩壊させることに夢中になっていたが、時とともに次のようなことが分かってきた。たとえ政府が正しくても、いったん世論が機嫌を損ねると、政府が正しいかどうかはどうでもよくなってしまうのである。私は突然、新進気鋭の挑戦者から、責任を担う者になり、物事を間違っていると説明する者ではなく、間違いを正す決定を下す者になった。首相としての責任は、野党党首とは全く異質のものだった。」と語っているが、民主党の2人の首相も同じ思いだったに違いない。

また、「官僚組織はうまく指揮すれば強力な機構になる。官僚たちは知的で勤勉で公共への奉仕に貢献している。ただ、大きな課題に対し小さな思考しかできず、組織が跳躍を求められたときに、少しずつしか動かなかった。ブレア政権は改革の多くを官邸主導で進めるため、政権の中枢部の機能を強化した」とありますが、民主党もこの成功を事前に随分調査して、この官邸主導に持っていこうとしたが、実力が伴わず破綻した。現在は元の事務次官会議を採用し、彼らの力を有効活用することになった。

そして彼の言葉で至言と思ったのは、「現代政治で奇妙なのは、大衆の多くは中道の政策を求めているのに、政党は党派色を強めていることだ。政党には様々な既得権益を持つ支持者がいるが、そうした利益集団は公共の利益を代表していない」と言う箇所です。各政党がその独自色を出そうとするあまり、中道の政策を求めている大衆と遊離していくのを私は懸念しています。

トニー・ブレア
Tony Blair
WORLD ECONOMIC FORUM ANNUAL MEETING 2009 - Tony Blair.jpg
2009年1月29日
生年月日 (1953-05-06) 1953年5月6日(67歳)
出生地 イギリスの旗 イギリス
スコットランドの旗 スコットランド エディンバラ
出身校 オックスフォード大学
所属政党 労働党
配偶者 シェリー・ブース
子女 4人
サイン Euxropa Konstitucio Parto IV subskriboj (Britio).PNG

内閣 第1次ブレア内閣
第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
当選回数 3回
在任期間 1997年5月2日 - 2007年6月27日
国王 エリザベス2世

在任期間 1994年7月21日 - 1997年5月2日
首相 ジョン・メージャー

在任期間 1994年7月21日 - 2007年6月24日
副党首 ジョン・プレスコット
イギリスの旗 イギリス
庶民院議員

1983年6月9日 - 2007年6月27日
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アントニー・チャールズ・リントン・ブレア(英語:Anthony Charles Lynton Blair1953年5月6日 - )[1]通称トニー・ブレアTony Blair)は、イギリス政治家弁護士

第73代首相、第18代労働党党首、庶民院議員(7期)を歴任する。未だ前近代的・封建的な慣習や制度が残存していた貴族院において、世襲議員議席数の制限[2]最高裁判所の権能独立という二大改革を成し遂げ、近代的な権力分立制の確立を達成した。また、2000年捜査権限規定法を成立させた[3]

  1. ^ アントニー・チャールズ・リントン・ブレアに関するニュース記事。:
  2. ^ もっとも上院の権限が強すぎる問題は棚上げになった。
    イギリスの二院制と上院改革の現状 国立国会図書館調査及び立法考査局
  3. ^ 内務大臣は通信傍受の令状を発行することができる。また、令状無しで公共機関の通信データを見ることができる。同法は「覗きの特許状」とあだ名された。公的機関によっては通信傍受を予め許されている。
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