掲載時肩書 | 美術蒐集家 |
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掲載期間 | 2017/03/01〜2017/03/31 |
出身地 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1929/10/20 |
掲載回数 | 30 回 |
執筆時年齢 | 88 歳 |
最終学歴 | 米国オクラホマ大学 |
学歴その他 | |
入社 | 自会社(PL敷設) |
配偶者 | 通訳・悦子 |
主な仕事 | PL敷設技師、タヒチ、若冲、心遠館、無償貸出し、エツコ&プライスcollection、 |
恩師・恩人 | ブルース・ゴア |
人脈 | 建築家・ライト、辻惟雄、 |
備考 | 父・パイプライン事業 |
1929年10月20日 – )は米国生まれ。江戸時代の日本絵画を対象にするアメリカ合衆国の美術蒐集家。財団心遠館館長。京都嵯峨芸術大学芸術研究科客員教授。1953年にニューヨークの古美術店で伊藤若冲『葡萄図』に出会って以来、日本語を解さないながら自らの審美眼を頼りに蒐集を続け、世界でも有数の日本絵画コレクションを築いた。収集した作品は伊藤若冲を中心に当時日本であまり人気のない作者のものが多かったが、次第に日本で逆輸入的に評価されていった。葛蛇玉のように、ほとんど無名だった者もある。
1.伊藤若冲の作品を高く評価
この履歴書」登場者では、外国の政治家、経営者、学者、アスリートの登場はあったが、美術収集家として氏が初めて登場した。それも日本人が伊藤若冲をあまり評価していない時代から、若冲の作品を高く評価して、収集していたのには驚いた。それも若冲が、自分の作品を「千載具眼の徒を待つ」として、「自分の芸術を理解する審美眼を持った人物が、遠い将来出てくる」期待を外国人のプライスが発見したことだ。「若冲」の意味も、「老子」の一節にある「大きく満ちているものは、何もないようだが、実はその働きは極まることがない」からとり、「実は大きく満ちているから、何もないようなさま」と知った。日本の「履歴書」登場者では、古美術商で不言堂初代の坂本五郎が出ている。坂本は古美術の目利きであり、1972年にロンドンでの競売で、中国・元時代の「青花釉裏紅大壺」を約1億8千万円と当時の東洋陶磁の世界最高価格で落札した。国際美術市場で中国古陶磁への評価を高めた人物であった。
2.日本画の手法に魅入る
氏は機械工学専攻のエンジニアだが、京都御所で「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館)全30幅を見たとき「若冲は自然の営みのリズムというか、大きさをのみ込んだ画家だ」と確信し涙を流したという。へぇー、こんな感性が豊かで審美眼のある人が外国人にいるのだと思った。後年氏は、日本画には霧や霞あるいは靄(もや)が、特に屏風には金箔、銀箔、砂子を用いて大気に立ち込める湿度の濃淡を表現する手法があるのを知った。あるとき、自宅の日本画が生き物のようにゆっくり動き出すように見え、思わず息をのんだ。日暮れ時だった。ちょっとした光の加減、角度によって、屏風は違った表情を見せる。かねて自宅に飾る屏風を歩きながら何気なく見て、それに気がついてはいた。ところが時間に任せてじっくり向き合うと、なお発見がある。それだけではない。太陽が落ち、薄暗くなるにつれて、それまで気がつかなかったような細部が生き生きと立ち上がって目を引くのだ。そこではたと気づいた。伊藤若冲はじめ江戸期の画家は、自然光による視覚効果を織り込んで制作していたと。そこで自然光を生かした日本美術館をロスアンゼルスに造り、心遠館と名づけ若冲をはじめ江戸時代の絵画を展示したのだった。
3.美術作品は心を癒す
氏はまた、次のようにもいう。美術作品は美しさそれ自体が鑑賞の対象になる。ただ、それだけではなさそう。沈んだ人の胸の内に働きかけ、すり減った感情を潤し、こわばった心を解き放つ特殊な作用も秘めているそうだ。その一例を次のように書いていた。
東日本大震災の被災地で検視にあたっていた20代のある女医さんは、無念の末に亡くなった遺体と向き合ううち、いつしか欝になってしまった。2013年、母親に連れられて仙台博物館の「若冲」展を見て、かすかな安らぎを覚えた。以来入館を重ね、少しずつ症状が改善したという。絵の持つ力が回復を後押ししたのだとしたら、収集家としてこれ以上うれしいことはない。人間には物質的な支援だけでなく精神的な栄養が必要なときもあるのだろうと。すばらしい今回の「履歴書」でした。私は感動しました。
ジョー・D・プライス (Joe D. Price、1929年10月20日 - )は江戸時代の日本絵画を対象にするアメリカ合衆国の美術蒐集家。財団心遠館館長。京都嵯峨芸術大学芸術研究科客員教授。
1953年にニューヨークの古美術店で伊藤若冲『葡萄図』に出会って以来、日本語を解さないながら自らの審美眼を頼りに蒐集を続け、世界でも有数の日本絵画コレクションを築いた。収集した作品は伊藤若冲を中心に当時日本であまり人気のない作者のものが多かったが、次第に日本で逆輸入的に評価されていった。葛蛇玉のように、ほとんど無名だった者もある。
ロサンゼルス郊外に鑑賞室などを併設した豪邸を構える。全コレクション約600点のうち約200点が自宅の心遠館所蔵、約200点がロサンゼルス・カウンティ美術館(ロサンゼルス郡立美術館、en:Los Angeles County Museum of Art)の日本館 (en:Pavilion for Japanese Art) に寄託[1]、190点が2019年に出光美術館に売却されている[2]。
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