掲載時肩書 | 日産自動車社長 |
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掲載期間 | 2017/01/01〜2017/01/31 |
出身地 | ブラジル |
生年月日 | 1954/03/09 |
掲載回数 | |
執筆時年齢 | 63 歳 |
最終学歴 | 仏国パリ国立高等鉱業学校 |
学歴その他 | レバノン高 |
入社 | ミシュラン |
配偶者 | |
主な仕事 | ルノー、日産、再生プラン、中国、ロシア、ダイムラー、 |
恩師 | ルイシュバイツアー |
人脈 | ミシュラン会長、塙、プーチン、 |
備考 |
氏は、日産系でこの「履歴書」に登場した鮎川義介、川又克二、石原 俊に次いで4人目である。因みにトヨタは5人。氏はブラジルで生まれ、幼少期レバノンで過ごし、大学はフランス、米国でも長く生活している。民族・文化の違った多様性の中で育ってきた。仏国の上位の大学、いわゆるグランゼコールは旧仏領の国や地域から精鋭を集める機関であり、旧植民地出身でも社会的階層を駆け上がれる機会を用意しているのだった。氏は、多くの大統領や高級官僚を輩出しているエコール・ポリテクニーク(国立行政学院:ENA)を卒業した。
私がびっくりしたのは、1998年に氏が日本に来て「日産リバイバルプラン:NRP」を発表した時だった。3年で20%コスト削減、売上高営業利益率4.5%、有利子負債2兆円を7千億円に減らす計画を掲げ、これが達成できない場合、社長(COO)を辞任すると言明した。この数字目標は希望ではなくコミットメント(公約・誓約)だと。当時日本の経営者で「計画達成に経営責任を負う」という人はいなかったからだ。それで氏の行動を注目していたが1年前倒しで見事に達成した。
氏は、2006年3月ルノー会長のルイ・シュバイツアー(2005年10月「履歴書」登場)の後任となり、日産と兼務のトップになる。それ以後の氏の行動スケジュールは、月の第1週をルノー、第3週を日産の経営にさき、その間の移動に合わせて米国、中国、ロシア、南米など第三国に出張するものだった。氏がルノーと日産とはアライアンス(提携)であって、M&A(合併か買収)の関係ではないと強調する。提携とは、2つの企業が独立を守りつつ、部品調達や技術開発では一つの企業のように力を合わせることだ。これが両社が18年かけて発明した独自の形態であると。
氏が最後にリーダーの条件を示している。
1.結果を出せる人。トップはどんなに厳しい条件でも常に結果を出さなくてならない。
2.リーダーは人々とつながる能力を身につけないといけない。固苦しい、冷たい印象を持たれては、部下たちの働く意欲も損なわれる。
3.新しいことを常に学ぶ姿勢だ。無公害車や自動運転、IoT技術の進歩が著しい。新しい技術や動きに精通し、行動しなければならない。と説く。
グローバル化の現在、このようなダイバシティ(多様性)を持つ人材を企業は求めているのだと実感したのだった。
カルロス・ゴーン Carlos Ghosn | |
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![]() 2010年撮影 | |
生誕 | 1954年3月9日(67歳)![]() |
住居 | ![]() |
国籍 | ![]() ![]() ![]() |
別名 | コストキラー、ミスター調整 |
民族 | レバノン人 |
出身校 | コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール エコール・ポリテクニーク(1974年卒業) パリ国立高等鉱業学校(1978年卒業) |
職業 | 実業家 |
著名な実績 | 日産自動車会長 三菱自動車工業会長 ルノー取締役会長兼CEO (PDG) |
活動拠点 | ![]() |
給料 | 10億9800万円(2016年度)[1] (過少申告の疑いで捜査中) |
宗教 | キリスト教(マロン派) |
栄誉 | レジョンドヌール勲章(シュヴァリエ) 藍綬褒章 大英帝国勲章(ナイト・コマンダー) 日本自動車殿堂殿堂者 |
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn、1954年3月9日 - )は、ブラジル出身の実業家。
2004年に藍綬褒章を受章[2][3]。ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)を務めていたが、2018年11月、東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕され、その後解任された。2019年12月にレバノンに亡命している。