ウイリアム・J・ぺリー ういりあむ ぺりー

行政・司法

掲載時肩書元米国国防長官
掲載期間2010/12/01〜2010/12/31
出身地アメリカ合衆国
生年月日1927/10/11
掲載回数30 回
執筆時年齢83 歳
最終学歴
米国ペンシルベニア大学
学歴その他スタンフォード大学
入社防衛企業
配偶者高校同級生
主な仕事ミサイル防御、CIA協力、国防次官、ステルス、核頭脳流出防止、国防長官、4賢人・核防止提言、
恩師ポーヤ教授
人脈ケネディ、カーター、レーガン、クリントン、
備考ペリー提督 と縁戚
論評

12月の日経「私の履歴書」は元米国国務長官のウイリアム・J・ペリー氏でした。驚いたことに彼は幕末黒船で日本に来航したペリー総督の親戚筋に当たる人物でした。終戦後は日本に来て、主に沖縄で詳細な地図作りに従事したとあり、後に国防長官として普天間基地の返還を決断する際、このときの生活経験が役立ったという。そういう意味で彼は日米安保条約には早くから関与していたことになる。

彼はスタンフォード大学の数学の博士課程を修了し、防衛産業に就職。そこで「自国航空機を追跡する敵レーダーに対して、妨害電波を流し機能不全陥らせるシステム」と「電子的な技術を使って敵側の機密情報を探るシステム」を完成させた。この後者のシステムはその後、宇宙静止衛星を利用するシステムに発展させ、ソ連や他国の大陸弾道ミサイルの実験を完全監視し、その実力、精度など敵国武器の実態を把握していたと語る。また、1991年の湾岸戦争で圧倒的な敵地侵入能力を発揮したステルス爆撃機も彼のリーダーシップにより、ロッキード社に開発促進させたものだった。そして、1994年北朝鮮が約8000本の使用済み核燃料を抽出するのを衛星で発見すると、分析し、これはプルトニューム核爆弾を6~8個保有すると結論づけて行動する。こういう監視能力、分析能力、外交能力は、私にとって未知の世界であり感嘆するものでした。

オバマ大統領が2009年プラハで「核のない世界」を外交演説し、その年のノーベル平和賞を受賞することになるきっかけの意見論文「核兵器のない世界を」を、彼はシュルツ元国務長官、キッシンジャー元国務長官、サム・ナン元上院議員の4人で発表していた。この4人の提言は、第一段階として12年までに米ロ両国が新たな核軍縮条約を締結する、第二段階は25年までに米ロ両国が保有核弾頭数を500発(現在比で約95%減)まで圧縮する。そして第三段階で、世界の新たな政治環境・システムに応じて追加的な核削減努力を行い、核全廃に近づけていくというもので、米国は現在この実現を目指し行動している。今回の「履歴書」は、今までとは違った内容の濃い素晴らしいものでした。

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