私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

テニスとゴルフ

 加藤は明治40年(1907)愛知県生まれで、昭和5年(1930)関西学院高等商業を卒業し、日本ゼネラルモーター(GM)に入社する。同10年(1935)神谷正太郎に誘われ豊田自動織機に転じ国産車販売に従事するが、製造と販売を分離したトヨタ自動車販売に同25年(1950)移り、神谷正太郎とともに販売面からトヨタを世界企業に育てた人物である。
 加藤は母親が42歳のときの子で、男2人、女6人の8人兄弟の末っ子である。長姉とは20歳以上も違い、すぐ上の姉とは6歳離れていた。兄や姉に厳格だった両親も、末っ子の彼には甘かった。
 子だくさんの割には経済的にも恵まれていたため、何不自由なく育てられた。そのせいか体が弱く、病気ばかりする虚弱児だった。幼児の頃の虚弱体質は、小学校の高学年に進んでも一向に治らなかった。1か月くらいの長欠はザラで、6年生のときは、大病を患って死に直面したこともあった。
しかし、中学になってテニスをやり始めて、虚弱だった身体はすっかり頑強になった。このとき徹底して身体を鍛えたおかげで、それ以後のゴルフなどのスポーツも得意になったという。これらのスポーツは古希を過ぎても存分に楽しむことができた。
 ビジネスで付き合っている海外の人たちとも気軽にプレーできるため、よき潤滑油になっていたと述べ、ハードな健康法を紹介している。
「朝、五時半に目を覚ます。念のため目覚まし時計をかけているが、ベルが鳴る前に目を覚ますのが常である。NHKのニュースを聞きながら、ベッドの上で真向法を真似た屈伸運動を六十回行う。(中略)それから乾布摩擦を首から始めて胸、腹、背中、腕、手、脚、足と約六百五十回。これで室内運動は終わり。約二十分である。
次いで庭へ出る。まずテニスのラケットを持ち、ゴルフの練習用に張ってあるネットに向って、サービスを百回打つ。これは腹筋運動に効果的だ。これが終わると、ラケットをクラブに持ち代える。九番、七番、五番、三番、ドライバーで各二十発ずつ、計百回振り回す。これが約三十分だ。
以上が朝食前の日課運動だが、夜に会食やパーティがなく早く帰宅できた時は、夕食後、庭に出てクラブを振ることもある」(『私の履歴書』経済人十九巻 95、96p)
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 もう、健康そのものの運動量です。この運動量も、テニスなどで鍛えて年齢とともに次第に慣らしてきたものではないでしょうか。
 すぐにこの運動量をこなすことは到底できませんから、ステップアップしながら少しずつ自分の体に馴染ませましょう。


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