89歳の健康法

 三島は「初恋の味」で親しまれた乳酸菌飲料のカルピスを、世界で初めて発売した人物ですが、この開発は彼が明治41年(1908)内蒙古(現:内モンゴル自治区)に入り、病気で瀕死の状態のとき酸乳に出会い、健康を回復したのが動機だった。
 三島は明治11年(1878)大阪府生まれで、父親は浄土宗本願寺派の住職だった。明治35年(1902)龍谷大学を卒業後、英語教師となるが、25歳(1903)で辞し、中国に渡る。大正4年(1915)帰国後、「心とからだの健康」を願い、酸乳、乳酸菌を日本に広める決意をし、同6年(1917)ラクトー株式会社(現:カルピス)を設立。
三島は96歳で亡くなるが、「私の履歴書」を連載していた昭和41年4月は89歳だった。自ら「証券市場に上場されている会社の社長では最高齢者」と書いている。彼は生来強健の質ではなく、特に消化器と呼吸器が弱く、子供のときから薬ばかり飲んでいた。
 三島は父を60余歳、母を47歳で亡くし、2人の娘は20歳代で早世した。「血筋から言えば今日まで生きているのが不思議である。だから人一倍、健康に気を使い、努力してきた」と周囲に語っている。それだけに、健康に役立つ書物は片っぱしから読み、あらゆる方法を試みていた。
そして、「時間を守って規則正しく生活すれば、身体はおのずと健康になる」という結論となった。そこで彼は、1日24時間を、10時間の睡眠、午前4時間の執務、午後2時間の読書、そして残る8時間を体力維持のための時間と定めたという。これを厳守するため、冠婚葬祭等の出席はいっさい断わり、妻子またはほかの人を代理に立てるように徹底した。
その1日8時間の健康法の内容は、「1.食生活、2.散歩、3.手足の温浴、4.日光浴」であり、それぞれに本では詳しく説明してくれている。特に有名なのが日光浴である。それを彼は次のように紹介している。

「日光浴の効用:昭和元年以来、ずっと続けてきた。およそタダで得られるものほど必要度は高い。(中略)日光浴の方法だが、夏は朝六時から七時までの十分間、冬は午後一時の間に三十分ぐらいやる。ある夏、長時間強烈な紫外線を全身に浴びて脳貧血を起こした失敗から、今村荒男博士の“肺や心臓のある肋骨の部分に日光を直接当ててはならない”という注意を守り、タオル製のチョッキを着用している。
また、日光浴で拡大鏡を使ってヘソの回りを焼かんばかりの高温度で照射するのが、私の独創で、秘伝である。二十年ほど前、ヘソに灸をすえてたいへん効能があったことから、モグサの代わりに日光であたためてもよかろうと考案したのだ。『ヘソの下には胃とスイ臓がある。熱で刺激すれば胃液、スイ液の分泌をよくするからよろしい』と私の主治医柿沼庫治さんが、この方法に太鼓判を押してくれた。ただし、やけどをしないように注意がいる」(『私の履歴書』経済人十巻 203、204p)
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 この本ではお灸の代わりにレンズを使ってヘソをあたためる執筆者の写真はユーモラスでもあります。三島の1日8時間の詳しい健康法メニューには驚かされました。
 高齢になると、特に健康管理が大切になってきますが、徹底することが重要だということがわかります。
 三島は健康法メニューの4種類を詳しく説明してくれていますので、本人の「私の履歴書」(『私の履歴書』経済人十巻)をご参照ください。