私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

食事療法と梅干し

越後は、数々の大相場をものにし「相場の神様」とも呼ばれ、伊藤忠商事を世界最大の繊維商社に押し上げ、繊維商社から総合商社に育て上げた立役者である。
彼は明治34年(1901)滋賀県生まれで、大正14年(1924)神戸高商(現:神戸大学)を卒業後、伊藤忠へ入社する。この進学は伊藤忠兵衛の援助で可能になり、終生感謝していた。

越後は趣味人で、茶道、ゴルフ、小唄、清元、マージャンなどに親しんだ。経営のトップにいると大変な体力がいるため、気分転換にこれらを活用した。
さらに、健康のためには食事療法が大事だと説く。70キロあった体重を55キロに減量するため、大変な努力をしていた。その中心は玄米食。これは非常に体調がよくなるとして推奨した。
玄米に小豆を少量入れて炊き、おにぎりにして梅干しを入れ、黒ゴマの粉でまぶした上にさらにおぼろ昆布で包む。それを何十回と噛むという。宴会やゴルフのときでも、このにぎりめしを持参していた。しかしそれだけではなく、なるべく幅広くいろいろなものを食べることを心がけていた。
なかでも、人間が土から生まれ、また土に帰る現実を考えて、にんじん、ごぼう、大根、れんこんなど、土中の熱によってできたものをできるだけ多種類とるようにしていた。それまで寿司が多かった会社の弁当も、幕の内弁当に変えさせた。幕の内のほうが多種類の副食があり、米飯も少ないからだった。

「善意の押し付け」として越後が知人・友人に送りつけて有名なのが、「梅干摂取のすすめ」である。
「だれでもうまいものを食べたいと思うものだ。従って血液が自然に酸性になりがち。中でも酸性中の王者は白砂糖とかつお節。酸性を中和しアルカリに変えるには、梅干の方がキャベツの三百倍以上の効力があって、百グラムの白砂糖を中和するのにキャベツの三千三百グラムに対し、梅干しはわずかに十グラムで足りるという。(中略)。それほど梅干は大切な食べ物である。(中略)。
実はまだほかに、電気をあてる方法などもいろいろあるのだが、こうして私は信じる健康法を懸命にやって、一日一日を有意義に、希望を持って送ることにつとめている。だれでも五、六十歳までは健康だが、問題はそれから先の十年、二十年だ。よほどの健康管理をうまくやらないと、長生きは難しい」(『私の履歴書』経済人十六巻 220、221p)
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越後もカルピスの三島と同様、自己の健康法を詳しく書いています。
それは「60歳以後の健康管理をうまくやらないと健康を維持できない」という親切心でもあるでしょう。彼は美食を多くとりがちな友人・知人に良質の梅をひと樽で送りつけたというエピソードもあります。越後の好意はうれしいが、もらった人はさぞかし複雑な気持ちだったのかもしれません。


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