顧客管理データで直接販売

「明治26年(1893)愛知県生まれ。同39年(1906)丸善入社。20歳代で朝鮮、中国東北、台湾市場開拓に従事する。昭和22年(1947)独裁を宣言して社長就任。同46年(1971)会長、同48年(1973)相談役。同61年(1986)死去、92歳。」

*司の生家は千年以上続いた伊勢神宮の神領の司であった。苦しい家計を察して明治39年(1906)高等小学校を退学し、丸善に「見習い生」として入った。彼は、新刊洋書が到着すると、得意先を開拓して片っ端から売りさばいて評判をとった。二年二カ月後、明治41年(1908)末に異例の昇進で手代となり、人力車がつく身分となる。その後、大正七年1918)には朝鮮と満州に市場開拓に単身で出かけ、大成功を収める。この実績が認められて、大正九年(1920)、27歳で大阪支店の販売課長に抜擢された。
 彼が部下を持ち職場を眺めてみると、販売部員は自分の記憶だけがたよりの、きわめて非科学的な販売方法であった。これをいかにして合理的、科学的な販売方法の体制に確立するかと思いをめぐらす。そして閃いたのが、顧客カードをきちんと整備することが販売の基礎だと気づいた。
 そこで、三年間の売上伝票を一人で半年間かかって整備すると顧客単位の読書傾向を分析することができるようになった。これが科学的ダイレクトメールとつながり、大幅な販売効率化に役立ったのである。彼はこれを次のように説明している。

「そのようにして、調査した結果は文学、経済学、哲学、社会学、心理学……といった分類で名簿にする。医者が本業でありながら哲学も勉強しているような場合は副カードをつくって哲学と記入する。人によっては二つも三つものカードが必要なこともある。
 この整理ができると、たとえば文学の新刊書がはいった場合、文学の部のカードを抜き出せばそれを必要とする人の氏名が即座にわかるということになって仕事がきわめて能率的にできるようになった。そればかりでなく販売の手数と経費のロスが省かれた効果も大きかった。従来は、極端に言えば医学書でさえあればその専門分野を問わず一様に通知書を発送するというムダもあったのである。」(「私の履歴書」経済人十二巻:201p)