投稿日
「昭和17年(1942)米国ニューヨーク州生まれ。同38年(1963)にダートマス大学卒、1965年にハーバード大学ビジネススクールでMBA取得。米マッキンゼーに入社、その後アメリカンエクスプレス、RJRナビスコ会長を務めた。平成5年(1993)4月、IBMに初めての外部出身CEOとして招かれ、同14年(2002)12月の9年間の退任までに同社の再建に成功した。」
*平成3年(1991)第一四半期にIBMは17億ドルの赤字を計上した。これは超優良企業のIBMにとって創業以来初めてのことだった。原因はコンピュータのダウンサイジング化に乗り遅れ、メイン・フレーム中心のIBMは直撃を受けたたからであった。その経営責任からエイカーズ会長は更迭され、1993年当時RJRナビスコの会長兼CEOのガースナーが就任することとなった。
ガースナーはIBMが顧客の信頼を失っていると感じたので「顧客がIBMとは交渉しにくい」というイメージを少しでも減らしたかった。最初の経営会議で経営幹部50人に提案した顧客抱き込み作戦は、訪問する顧客数は五件に限らず、多ければ多いほど得点が増える内容であった。
この作戦はIBMの企業文化を変える第一歩となった。会社を立て直すには外部の力を得て、顧客の求める方向に早期に持っていくことが重要だった。この作戦が社内に浸透し波紋を投げかけ、彼が本当に彼らの報告書をすべて読んでいることがわかると、急速に動きが良くなり、反応も敏感になってきたと述懐している。
「一九九三年四月末、経営会議を開いた。CEO(最高経営責任者)就任を発表した日に出席したトップ五十人からなる会議だ。就任三週間で感じたことを話し、積極的に評価できる点もあるが、顧客の信頼を失っていること、会社がやみくもに分社化の方向に走りすぎていることなどの問題点を指摘した。そして「顧客抱きしめ作戦」を提案した。
幹部五十人全員が三カ月以内にそれぞれの最重要顧客を最低五ヵ所訪問し、その要望や不満を親身になって聴き、適切な対策を取る。各人が直属の部下である部長クラス(合計二百人以上になる)にも同じことをさせる。訪問一件につき一、二枚の報告書を私と顧客の問題を解決できる者に届ける、というものだ。」(日本経済新聞 2002.11.21)