芸能人から文句の出ないギャラとは

大阪府生まれ。関西学院大学卒。吉本興業に入社し、人気番組「ヤングおー! おー!」(制作・毎日放送:1969~1982年まで放映)などをプロデュース。 1991年に社長就任。東京進出の旗振り役となり、関西ローカルだった吉本興業を全国区に押し上げた。

 中邨は演芸部門の再興に取り組み、うめだ花月(大阪市)などの劇場開設に携わり、吉本新喜劇をスタートさせました。また、1969年に始まった若者向け人気番組「ヤングおー! おー!」を企画するなど、テレビ局と組んでタレントを売り出す手法も確立しました。
 東京では、人気が出ると思うと先物買いでギャラを高くしますが、大阪はあくまでも芸人の格でギャラを決めていました。この東西の垣根を、彼は壊したのです。明石家さんまがブレイクしたのをきっかけに、それが可能になったとのこと。

彼は、2001年当時の芸人のギャラについて、次のように説明しています。

「当社に属している芸人は六百人以上。その中で最高が八億円強で、一億円超の高額所得者十一人を合わせると、百人ちょっとが一千万円以上取っている。(略)年収百万円以下も三百人以上がいる。収入については格差の激しい社会だ。芸人はいったん人気が出ると倍々ゲームで収入が増える。歩合給のテレビ出演本数が急増するせいだ。(略)一番危ないのが年収一千万円前後。新幹線を普通車からグリーン車にしろとか、地下鉄に乗っていたのをタクシーに替えろと言い出す。ギャラはお客さんが払ってくれているという本質を忘れてしまい、自分の腕で稼いだと錯覚するのだ。芸人にはだれしもが一回はかかる『はしか』である」

 ギャラは芸人を評価(ランクづけ)するバロメータ-です。ギャラが上がることが、すなわち芸人としての評価が高くなるということです。まさにそれは芸人の生きがいでもありますから、芸を高める努力を日夜、切磋琢磨で行なうことに結びつくのでしょう。
「へぇー、ギャラはこんな基準に基づくのか」と教えていただきました。

 また、広告業界には、いわゆる「ギャラリスト」というものが存在しているそうです。広告代理店や芸能人などを派遣企画する「キャスティング会社」が制作するもので、CMや広告、WEBなどの出演契約をするにあたり、基準となる金額が明記されたものです。
 これはまさに寿司屋の「時価」のようなもので、その時々の人気度により変わっていくものです。サラリーマンにも出世競争はありますが、同じぐらいの年齢で、給料に天と地の差がつくということは、よほどでないとありません。
 芸人さんたちの不安と焦燥がしのばれる話ですね。