私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

自己暗示法を活用する

日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」が連載した61年間の登場者810人のうち、特に「志るべ」や先生の著書、講演などに出てくる人物として、広岡達朗氏「元ヤクルト・西武監督」がいます。その広岡氏がより具体的に、先生との出会い、感動、実践を書いてくれていますので、再現いたします。

広岡達朗(元ヤクルト、西武監督:1932年 – )    掲載時78歳:2010.8.1~8.31
広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。現役時代は読売ジャイアンツで活躍し、引退後は広島東洋カープ守備コーチ、ヤクルトスワローズヘッドコーチ・監督、西武ライオンズ監督を歴任した。監督としては、最下位球団だったヤクルトと長期に渡って低迷していた西武をリーグ優勝・日本一へと導いた。その後は千葉ロッテマリーンズのゼネラルマネージャーを経て、現在は野球評論家。

出会い: 2010年8月10日の「私の履歴書」には次のように書いている。
巨人へ入団して、2,3年目、守備に限らず、悩みが尽きないころ、知人にヨガの達人、中村天風先生を紹介してもらった。早速、東京都文京区・護国寺の修練会に行ってみた。羽織はかまで登壇して「天風であります」と言ってパーと投げる。「格好いいけれど、きざだなあ」というのが第一印象だった。
しかし、話をよく聞いてみるとうなずけることが多い。家族ぐるみのお付き合いをしていただくことになった。克己、祥子、信也という3人の名付け親にもなってもらった。
これを参考にしろと渡された勝負における誦句集、「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず。正直、深切、愉快に、力と勇気と信念をもって・・」はすべて覚えて、今でも暗唱できる。ことあるごとに相談に乗ってもらった。

感動:当時広岡氏は、グランドに出ると忽ちヤジられていました。その声が嫌でグランドに出るのも怖い状態であったので、相談すると、先生の考え方の基本は「心が体を動かす」だった。「人間の生命には本人が気づいていない強い力が潜んでいるが、消極観念にとらわれるとその力は引き出せない。勇気・積極思想が必要」と教えてくれたのでした。そのとき、与えられた勝負における「誦句集」と「真人生の探究」を繰り返し一生懸命に読んだ。そしてこれを読むうちに、「なるほどなァ」と感動し納得した。「よおし、俺もまず気持ちを変えることが大切だ」と実行を決心した。それから一層真剣に「真人生の探究」を毎年読み続けている。

実践:広岡氏は、天風先生から「勝負を決めるのは自分なんだ」「自分は駄目だと思えば駄目になる。大切なことは事に当たって如何に気持ちを入れ替えるかだ」とも教えられた。その入れ替えの方法が解らず、この本を読むと「観念要素の更改」が必要とあった。消極心を積極心に入れ替えるため、「自分は強くなる」「自分はできる」と寝る前に「自己暗示法」を活用した。そして守備や打撃力を向上させるには物事のタイミングである「間」を掴むために合気道や居合抜きにも熱心に取り組みました。

しかし驚いたことに、「真人生の探究」の初めに、「まず人間は何のために生きてきたか」、それは「人類の進歩と向上発展ために生まれて来たのであって、そうでなければ、何ら意味がない」の言葉でした。野球人にも「ここまで要求されるのか」の疑問です。けれど読むうちのこの真意が理解でき、試行錯誤しながら自分に厳しく対応したのでした。その結果、野球人生、監督時代にもこれを応用・実践した。それを次のように説明しています。

ただ好きな野球をやって太く短く、好き放題やって、それが駄目になったらやめてしまう考え方に、ぼくは賛成できません。やはりやるからには、きちっとした野球をやって、自分も幸せになり、しかも後輩を育て、この世に生きて幸せだったという気持ちで、野球をやめるべきだという考えなんです。(中略)。私はそこで意識改革を叫び、その方法として、まず積極観念を植えつけ「俺はできるんだ。俺は強くなるんだ」と暗示をかけております。

このような考えのもとで、最下位球団だったヤクルトや、長期に渡って低迷していた西武の監督を引き受け、モノの考え方の大切さを説き、たべものや夜更かし、深酒など選手にマイナスになる生活態度を徹底的に管理し指導しました。これらは全部この天風哲学から引用させてもらったと書いています。これにより両球団をリーグ優勝・日本一へと導くことができたのでした。
この考え方は野球人だけでなく、人間なら誰にも当てはまる素晴らしい実践の成果です。
(「志るべ」NO.285(昭和61年9月号) 「真人生の探究」こそすべてーわたしが推薦する“一冊の本”から )に詳しく書かれていますので再読されることをお勧めします。


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