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森は、大倉高等商業学校(現:東京経済大学)講師を経て、同7年(1932)、京都高等蚕糸学校(現:京都工芸繊維大学)教授や、同21年(1946)、横浜市立経済専門学校(現:横浜市立大学)教授を歴任する学者・教育者であった。彼は森不動産を設立後に経営者となり、地価の高騰もあってアメリカの「フォーブス」誌の1991、92年の世界長者番付で世界一にランクされた。
明治37年(1904)、東京都生まれの森は、小学校時代から家業である米屋や大家業を手伝っていた。そのため、小学校を卒業すると、どこに進学するか悩まずに、近くにある大倉高等商業学校(現:東京経済大学)に入学する。商売の実践を家業で身につけながら、学校で商業の理論を学ぶことで、ますます商売が面白くなったという。
しかし、キリスト教の洗礼を受けたのち、不幸にも胸を患って1年間、療養生活を送ることになった。そのときに、キリスト教思想や左翼思想、夏目漱石、芥川龍之介など、自由主義思想の本を幅広く読書することができた。ところが、今まで何も疑いをもたなかった家業の商売に疑問が湧いてきた。家賃という不労所得で成り立っている商売はブルジョアではないのか、社会的弱者を搾取しているのではないか、という気分になってきたのだ。そこで、商業学校を卒業して米屋を継ぐことでは、男の生き方として小さいと感じ、東京商科大学に進んだ。この大学でめぐり合った生涯の恩師・上田貞次郎教授によって、森の永年の思想的な悩みは解決された。森はそれを、次のように語っている。
「企業経営で利潤追求は必要条件ではあるが、もっと大事なのは社会に役に立って喜んでもらうことだ。その貢献度に応じて利潤を得られる。だから一生懸命がんばって大きな貢献ができれば、その結果として収入も増える。生活も豊かになり、社会的な名声も上がり、人間同士の関係も楽しくなる。これが上田先生の教えであり、森ビルの経営理念でもある。
(中略)
僕の迷いをばっさり切ってくれる理論に巡りあえた思いがした。家賃収入という不労所得を得るのは社会悪だという考え方に対し、自分たちの事業に正当性を与えてくださった。イデオロギー的アレルギーから解放していただいた。(中略)
僕は、地上げは落語の『三方一両損』ではなく『三方三両得』でなくてはいけないとも思っている。権利者と開発業者の森ビル、地域という意味の公の三者がかなり得しなくては本当の地上げではないという考えだ」(『私の履歴書』経済人二十八巻 425、447p)
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学者肌の森にとって、自分が納得した経営理念でなければ、事業やステークホルダーを引っ張っていくことは難しかったに違いありません。その意味で、彼は事業の正当性を与えてくれた上田教授を生涯の恩師として仰いでいます。ちなみに、ほかにも上田教授を恩師として仰ぐ人物にキッコーマンの茂木啓三郎がいます。