私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

相手の気持ちで

松田は、日本の小売業として初めて売上高1000億円を突破させた経営者である。明治29年(1896)香川県に生まれた彼は、大正8年(1919)に慶応大学を卒業し、「きょうは帝劇、あすは三越」と言われていた華やかな三越に入社する。

昭和初期の不況期は韓国の京城支店ですごすが、当時、ここでは比較的豊かな在留邦人の購買力を吸収するのが商戦のカギであった。
現地の花柳界の芸能祭をデパート内で開催するという、彼のアイデアは当たった。その見物に来た客が売り場に立ち寄り、それが売上に結びつくという好循環で、京城支店の業績を上げたのだった。
戦後、三越本店長で常務時代、文化・娯楽に飢えた庶民のために、日本橋店内の三越劇場において、古典芸能や新劇の上演、三越名人会、三越青年歌舞伎、落語会、素人名人会の名企画を次々と発表・実行した。

その企画は、「欧米のデパートの顧客は買い物だけが目的であるが、日本の百貨店は慰安を求め、文化を求めて来店する」という慧眼によるものだった。
これらは「文化コミュニティ」と呼ばれるようになり、来店客数は増え、業績向上となって戦後三越の再建を果たすことができた。のちに彼は、商売の原点である「人間関係のあり方」を次のように語っている。

「小さいころはきかん坊でわがままだった私が、はからずも客商売従事するうちに『忍』そして『努力』『誠実』ということがわかるようになった。客商売で大切なのは、対人的に物を考え、相手の気持ちを忖度することである。自分を殺すことも必要となる。それもまた忍である。難題といえども、これが人間関係であるかぎり、相手の立場を考え、誠実をもって努力するならばおのずと解決する。そういう信念が生まれ、それが一つの自信になったように思う」(『私の履歴書』経済人十四巻 386p)
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誠実が信用につながり、その信用の蓄積から人脈が拡がっていきます。そしてその人脈の広さ・太さがその人物の力量と評価されます。
人との付き合いは、原点である「誠実さ」をもって対応するようにしたいものです。


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