私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

相場の神様

戦後のドッジライン、民間貿易再開、朝鮮動乱など、激動の時期、越後は、伊藤忠商事の名古屋支店長だった。
近藤紡績、豊島などが凄惨な仕手戦を演じた名古屋の土地で独自の相場のカンを身につけ、昭和26年(1951)前後の繊維大暴落のときを売り抜け、当時の10億円を超える利益を収めた。
しかし、翌年28年(1953)に入ると、スターリン相場、7月の朝鮮休戦協定調印と矢継ぎ早の暴落で、商社の倒産が続出し始めた。そして本人も心労が重なり、ついに血を吐いて入院となる。それでもベッドに電話を置いて、穀物三品取引などの重要事項の指示を出していた。

暴落後の片づけが終わると、今度は強いデフレ政策が打ち出されたので、景気はさらに悪くなったが、繊維の輸出を推進し、需給関係の各種資料を研究して、三品市場における取引に臨んだ。
その結果、この大不況時に逆に業績を上げ、名古屋時代に次いで大阪時代も、再び総額で10億円を超える巨大な利益を上げることができた。

また、石油危機など予想もしなかった昭和40年(1965)代前半に、批判を押しのけて、採掘量も定かでないジャワ原油の販売権を取得し、西イリアン石油開発に投資したのも、名古屋で培った相場カンの賜物だった。その〝相場カン〟について彼は、次のように書いている。

「綿花、羊毛、砂糖、小麦、木材等世界的な商品は、諸情勢によって、世界の各市場において価格変動を繰り返しているものである。この実体を考える時、どんな企業であっても、世界を相手として活動する以上は、絶対に市況ないしは商品相場に敏感であることが必要である。商社は、そのほかに、為替相場の変動、海上運賃の推移に至るまで、各種の市況見通しが大切で、これら一つ一つの市況判断を間違えば、大変な危険に陥るのだ。
(中略)
私のやり方を要約すると、相場の判断は商品の継続的な需給関係を中心として、それに過去の上げ下げの値幅とその期間を最重要ポイントにおく。それから全体としての景気動向を考え合わせて結論をだすのだが、無論永年の経験によって最後の断を下すのだ」(『私の履歴書』経済人十六巻 191、192p)
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穀物三品相場など、商品相場は私にはまったくわかりませんが、興味ある読者もいらっしゃると思い、ここに採り上げました。このページの前後では越後の相場観の判断基準を詳しく紹介しています。

ここで紹介したお金を味方にする助言では、それぞれの成功者がその成功経験をもとにアドバイスしてくれたものです。この助言を忠実に、かつ愚直に徹底して行なう人のみが、願望を達成できるのだと思いました。


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