私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

父の訓戒

「一粒三百メートル」のキャッチフレーズで成功した前出(第一章〓ページ)の江崎は、戦後アーモンドチョコ、ワンタッチカレーで成長する。
オマケ商法の先駆者でもある彼は、大正4年(一九一五)にはぶどう酒の樽買いを始めて小分け販売で成功し、同7年(一九一八)には大阪に出張所を出すまでになった。
 その後、有明海で採れる大量の牡蠣の煮汁廃液には多量のグリコーゲンが含まれるとして、これをお菓子として事業化したのが濃厚栄養剤の「グリコ」だった。この商品とオマケ商法などのアイデアで大躍進を遂げる。
昭和9年(1934)、グリコの事業からようやく年間50万円の純益を得る見通しがついたので、彼はその一部を社会還元に役立てたいと考えた。これが財団法人「母子健康協会」だったが、この設立の背景には、少年時代の父親の訓戒があった。
「私の生家は貧しく、その貧しさの中で父は次のように私をさとした。
『金を借りている人の前では、正論も正論として通らぬ。正しい意見を通すためにも、まず貧乏であってはならない。浪費をつつしみ、倹約につとめ商売に精を出して、ひとかどの資産を積んでもらいたい。しかし、くれぐれも注意したいことは、金を作るために金の奴隷になってはならない。世の人から吝嗇といやしめられてまで金を作ろうとしてはならない。そして金ができたら、交際や寄付金は身分相応より少し程度を上げてつとめていけ。それで金をこしらえていくのでなければ、立派な人間とはいえない』」(『私の履歴書』経済人七巻 190p)
          *          *
 一般的に「息子は父親に、娘は母親に反抗する」と言われます。
 特に男性の場合、独立心が強く、よく父親と衝突します。しかし、「親父の小言と冷酒はあとで効く」と言われるように、あとあと考えると「父親の訓戒を守っておればよかった」と後悔することも多々あります。
 江崎の場合は、父親の訓戒を守って商人の王道を歩んだことになります。

 この項では、「父母の影響」7例を紹介しました。
 ここで痛感するのは、「この親にして、この子あり」という故事です。すぐれた経営者はすぐれた両親をおもちです。
 その両親のよい薫陶を受け、素直に守り、その期待に応えるために、人生の逆境にも打ち勝ったように思えます。


Posted

in

by

Tags: