私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

有楽町界隈

青木は、大震災の路上体験を次のように証言している。
「関東の大震災は、全く思いがけないできごとだった。私はちょうど路上におって、有楽町のガードをくぐったときだったが、瞬間なにごとぞと思っただけで、地震という連想はつかなかった。すぐ道路の真ん中に飛び出して、同行の友人にくるようにうながしたが、彼は両手を広げて泳ぐような格好をしたが、なかなか私の近くにこれなかった。地面は波をうち、そこから丸ノ内へんをながめたときには、両側のビルディングがいまにも相うつかと思った。
目の前の有楽町のプラットホームの屋根が大きな音を立てて倒れ、電車を待っていた数十のお客は路線に飛び降りた。有楽町駅のすぐ近くのふろ屋がつぶれて、土煙がモウモウと上にあがった。ガードの横に煉瓦造りの変電所があったが、これがグラグラとくずれ、そのくずれた煉瓦の中から血だらけの男が飛び出してきた。これみな一瞬のできごとである。このとき、ようやく大地震だということが自分にもわかった。
東京毛織の本社の建物は、いまの日劇のところにあった。木造四階建で古い建物だから、いまにもつぶれるかと手に汗して見ていたが、幸い無事だった。地震が終わると、全社員、表に飛び出してきた。聞いてみると立っていることができなくて、皆はいつくばってしまったそうだ。たしかにあれくらい揺れると、道路であろうと、屋内であろうと、歩くことは困難になる。
間もなくあちこちに火災が起きて、消防ポンプもかけつけてきたが、消火せんがだめで、手のつけようがなかった。そのうちに各方面に火事の煙が上がってきた。二時過ぎには、早く帰らないと危険だという声がだれいうとなく出て、私も赤坂の下宿にかえろうとした。回り道をして赤坂見附までたどりつくと、下宿あたりは焼け落ちたあととわかったので、そのまま青山五丁目にあった浦松君の家に押しかけて居候となった」(『私の履歴書』経済人四巻 231、232p)
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 震度7以上になると、古いビルの倒壊、古い木造建物の密集地帯の火災や自動車事故による引火発生、道路の液状化などによる混乱で首都圏の交通網は寸断され、600万人といわれる帰宅難民が大発生すると予想されています。
 NHK特別番組の今回の震災検証では、都内から近隣県に帰宅しようとする人たちは、ビルの窓ガラスの崩落、道路上の事故自動車や古い木造住宅地が火災発生し、次々と燃え広がっていきますから、帰宅すること自体が危険と警告しています。
 これらの対応を、行政はもちろんですが、各自が今から自衛方法を考えなければなりません。


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