日本国へ

今の日本は「分断国家」である。国の形こそ朝鮮半島や以前のドイツのように分断されてはいないが、実体は二つに分かれている。

経済の世界では、世界的に競争力のある非規制業種と、競争力のない規制業種とが同居している。種々の規制でがんじがらめになり競争力を失った産業の存在が、生活コストを高騰させ日本に住む人々の生活を圧迫している。
しかし、規制業種の中でも、自らの創意工夫により、競争力を高める企業が出てきつつある。自己責任で競争を勝ち抜こうとする企業が、どんどん伸びていくような制度や仕組みを国が整備していく必要がある。

政治・文化の世界でも、やはり国際派と国内派という二つの勢力が同居している。世界各国から著名な政治家・経済人、学者が参加する国際会議のダボス会議に行くとよく分かる。
日本からも政治家や経済人が出席するが、メンバーは国際派と呼ばれる人たちで固定しがち。一方日本以外からの参加者を見ると、世界最大のソフト会社であるマイクロソフトのビル・ゲイツ会長や中国の朱鎔基首相など国を代表する経営者や政治家が当たり前のように出席している。先進国で国際派・国内派なんて色分けが今でもまかり通っているのは日本ぐらいだ。

一言で言うと、この国には「二つの日本」が存在する。グローバルな視点で眺めると、こうした状況は異質だ。次の世紀に日本が世界と共生し、光り輝く国でいるためには、二つの日本を一つにしていく必要がある。
では日本はそのために何をすればいいのか。突き詰めればグローバルな舞台で通用する人材の育成に行き着く。例えば、情報技術(IT)の普及でグローバル化が進展する中で、IT教育を強化していくことは不可欠だ。単にパソコンを使いこなすだけでなく、ソフトを創造できる人材を育てる必要があるだろう。中略。

私は以前から「若者、女性、地方、外国人」に期待すると言ってきた。戦後の日本社会を作り上げてきたのが「中高年、男性、中央、日本人」だとすれば、今必要とされているのは、そうしたいわゆるエスタブリッシュメントとは異なる人たちの発想だと思うからだ。成功体験に縛られたエスタブリッシュメントは自己否定できない。かく言う私だって似たようなものだ。
たとえ今は少数派でもいい。日本を光り輝く国にしようという志を持った人たちが新しい国を創っていってほしい。日本を変える意志を持った人だけが日本を変えられるのだから。