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椎名は、日本におけるIBMのような外資系企業の社会的な認知度を向上させるのに、多大な功績があった人物である。彼は昭和4年(1929)岐阜県に生まれ、同26年(1951)慶應大学を卒業する。同28年(1953)バックネル大学を卒業後、日本IBMに入社。そして同50年(1975)社長となる。
現在、日本IBMは世論調査でも企業イメージが高く、「大学生が就職したい企業」のトップクラスにランクされている。しかし、彼が日本IBMに就職した1953年頃は、「外資イコール悪」というイメージがあり、外資にもいい企業と悪い企業があることをなかなか理解してもらえなかったという。
アメリカIBMはすぐれた経営理念をもつことで知られているが、世界的視野で経営しているため、世界共通の経営ルールも多かった。海外子会社の経営は原則、現地の人間に任せたが、日本IBMが日本の事情に合わせて経営手法を変えようとすると、よく本社と衝突した。
そのため彼は日本の経営手法をもって、「IBMを日本に売り込む」ことと、「日本をIBMに売り込む」という2つの使命の狭間で格闘し、その成功を導いたことになる。昭和50年の社長就任時に、日米の習慣の違いからくるカルチャーショックについて次のように語っている。
「社長になって驚いたことが一つあった。米本社からやってくる担当者に年に一度、領収書を一枚一枚チェックされるのだ。取引先とのゴルフをすれば出費は数万円単位、米国人は目をむく。それを一つ一つ説明していく。なれ合いにならないよう本社は担当者を毎年代える。最初はびっくりしたがすぐに納得した。
私は米本社から日本子会社の経営を任されているが、『権限委譲』と『放任』は違う。権限を委譲すれば、任せる側にも責任が発生する。チェックするのは任せた側の義務だ。日本の産業界を見回すと、権限委譲と放任を混同しているケースが多いように思える。任せる側と任される側に適度の緊張関係があって初めて権限委譲は機能するのではないか」(『私の履歴書』経済人三十六巻 41p)
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私の友人も外資系日本法人の社長ですが、夏季休暇20日間はきっちりとらされます。その友人はこの期間をリフレッシュ期間として、旅行、レジャー、学習セミナーなどに費やします。しかしその期間、本社から代理人が来て友人の経営や業務処理、社員の掌握度などを点検・評価していたという話を聞かされ、驚いたことがありました。