市場把握にキャラバン隊

「昭和9年(1934)大阪府生まれ。同32年(1957)慶應大卒、東京日産販売に入社。同33年(1958)家業の島野工業に入社。同40年(1965)米国シマノの社長。同47年(1972)自転車事業に釣具事業を追加。平成4年(1992)専務。同7年(1995)社長。同11年(1999)ゴルフ事業に進出。同13年(2001)会長。」

*島野は昭和40年(1965)に30歳で米国シマノの社長になるが、米国の自転車環境は大きく変わりつつあった。それまで、自転車はどちらかといえば子供の乗り物だったが、これに大人が注目し始めた。アウトドアでのレジャーやスポーツを楽しむ道具として自転車に乗ろうという気運が高まっていたのだった。
このころ各地で慈善グループが主催する慈善サイクリングが流行っていた。チャリティ好きな米国人気質と、自転車を組み合わせたクラブが生まれ、全米に広がっていた。従来と違った自転車の楽しみ方が出てくると、自転車に対する要求も違ってくる。そこに自転車部品メーカーとして、ビジネスチャンスがあると確信したという。そして変化の中に新しい需要、オールアメリカンとなる製品を見つけようした。そのために、米国で有名な部品メーカー・シュイン社の前社長が実践した現場のニーズを知る方法を活用することであった。それは、「店には裏口から入り、メカニック担当者に会って不良品の具合、どの部分が弱いかなどを尋ね、改めて売り場に尋ねる」という方法であった。
そこで、彼は自動車部品の販売会社として全米専門店全ての巡回を決行し、次のように語っている。

「専門店や業界全体の動きを知りたいと思ったが、広い米国に六千店が散らばっている。私たちだけで回りきれない。本社から部門を問わず若い人を派遣してもらい、全米を巡回するキャラバン隊を編成した。メンバーはほとんどが二十代後半だった。
二人一組で半年ほどかけて各地を回り、次と交代する。目的は販売ではなく、アフターサービスやクレーム処理、製品紹介、修理の手伝い、そして情報収集である。
第一陣の出発は七一年一月。四千ccのステーションワゴンに、新製品から各種部品、工具などを積み込んだ。出発時には、重みで車が後に沈んだ。町に着くと、電話帳を開き、しらみつぶしに自転車専門店を訪れた。
現場では、学ぶことばかりであった。例えば、どの店でも一、二週間の間に壊れたり交換した部品を置いている。見せてもらうと「こんな壊れ方をするのか」とわかる。自分たちの製品の評価、色、デザインの大切さ、消費者がどんな風に乗り、何を求めているかを身をもって知った。」(日本経済新聞 2005.7.15)