私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

対話の質問項目

ルイ・シュバイツアーの父親はIMF(国際通貨基金)の元専務理事のピエール‐ポール・シュバイツアーであり、ノーベル平和賞授賞の医師・シュバイツアー博士は父方の大叔父である。
ルノーの社長のとき、カルロス・ゴーンを日産の社長に抜擢し、その後、自分のルノー社長兼CEOもゴーンに譲った。
昭和17年(1942)フランスのアルザス生まれの彼は、エリート養成学校であるパリ政治学院と国立行政学院(ENA)の両校を卒業後、優秀な成績だったため、45年(1970)財務省の会計検査官になる。ENAの卒業者は大統領や首相、高級官僚を多く輩出しているが、在学中の成績順に就職が決まるため、在学中の学生は必死で勉強するという。

1学年約1500名のうち、高級官僚など、最高位の職種に就くのは上からせいぜい15番までだが、彼はトップクラスにいたため、最高のエリートとされる会計検査官になった。
当時のポンピドー政権は社会保障関連機関の管理運営をめざしており、最初の1年間、ルイはパリ市の医療福祉機関に出向する。そこは市内の全公立病院を管轄し、関係職員数は6万人。巨大組織であるがゆえに経営が難しく、問題病院になっていた。そこで彼は最初の数か月間、医師、看護師、事務職員らと個別面談を行ない、何が問題なのかを直接聞くことにした。
その結果、資金や人員の資源配分、人間関係などに問題があることがわかり、それを一つひとつ改善することに成功する。

その面接方法は、「何が問題か、障害は何か、どのように解決すべきか」を個別に質問すれば、相手の仕事に対する意識程度がわかり、自分の解決策も発見できる、というものだった。彼はこの手法について、次のように語っている。
「私は難しいことをしたわけではない。小さなノートを手に相手と向き合って『何をしたいのですか』『障害は何ですか』『どうやったら解決できると思いますか』などの質問をし、メモをとりながら一時間程度はなすことを繰り返した。
人の話にじっくり耳を傾けて取り組みを考える方法は、その後の公務員時代、ルノーでの日々を経て、現在に至るまで頻繁に使っている」(「日本経済新聞」2005.10.5)
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一般的に管理職として新しい職場に移動した場合、まずその職場の問題点や課題をいち早く把握し、指導していかなくてはなりません。
私の場合も、そのときの方法として、この「何をしたいのですか」「障害は何ですか」「どうやったら解決できると思いますか」の「対話の質問項目」が大変役に立ったので、現在も活用しています。


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