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夫婦セミナーの効用

「昭和2年(1927)ドイツ・アイゼンハーツ生まれ。昭和21年(1946)19歳のとき父と一緒に働いていた生乳会社がネスレに買収される。そのネスレに勤めながら、フランクフルト大学を卒業。後にビジネススクールでマスターを取得。昭和43年(1968)スーパーチエーンのコープ社長。同50年(1975)ドイツ・ネスレのトップとなる。同60年(1980)ネスレ全体のトップ(CEO)となる。平成9年(1997)会長を引退し、名誉会長。スイス人以外として初めて、スイスの大企業の重要な役職と名誉を与えられた。」

*ドイツ人・マウハーの青年時代は第二次世界大戦の混乱期だったため、就職の選択肢がなく地元にあったスイス企業ネスレのミルク工場に徒弟として入社した。彼はネスレの日常業務をこなすかたわら、フランクフルト大学を卒業、その後ビジネススクールでマスターを取得する。しかし、上司と経営戦略上の相違があり退職し、大手スーパーチエーンのコープ社長となる。ここで小売りとメーカーの市場認識の違い、すなわち、小売りの「短期的な消費者動向思考」とメーカーの「製品の長期的展望と品質思考」の違いが認識できるようになる。このコープで実績を上げたことで、彼は古巣のネスレ・ドイツ社長に迎えられることなる。
 昭和40年(1970)代後半、ドイツの食品メーカーがそろって頭を痛めていたのは、「小売業者の権力」であった。小売業界の再編が急速に進んだ結果、小売りの発言力が増し、メーカーと小売りの力関係が大きく小売り有利に傾きつつあった。
 小売りとの新たな関係作りが急務と感じた彼は、社長になるとまず、小売業者と積極的にコンタクトを取り、「対決ではなく、共存を」と訴えた。また、ハンブルグでのコープで実際に小売業に携わった経験から、トップセールスの重要性も痛切に感じており、有力小売業者との個人的な関係を築くためにある試みをはじめた。それが通称「ネスレ夫婦セミナー」だった。これが大成功するがその詳細を彼は次のごとく紹介している。

「このセミナーは年一回、国内で最も力のある小売業者十人を夫婦同伴で旅行に招待する催しだ。しかし、ただの接待旅行ではなく、毎回仕事とは直接関係のないテーマを一つ選んで、皆が一緒に“勉強”をする。期間は八日間、行き先は仕事のしがらみから逃れるために外国、テーマは夫婦ともに興味の持てる内容、そしてそのテーマに関するドイツ有数の専門家を一人、必ず同行させる―この四点が原則だ。
 例えばケニアを選んだ年のテーマは「動物行動学」。生物学者に同行してもらい、サファリツアーで野生動物の生態を観察した。クレタ島では欧州文明のルーツを探り、ギリシャのコルフ島ではギリシャ古典文字、ナポリやポンペイではローマ文化を研究するといった具合。もちろん、ネスレからも私を含む幹部五人が夫婦で参加する。招かれた方は観光しながら知的刺激が受けられ、同行する我々ともいや応なく親交が深まる。
 しかし、このセミナーの味噌(みそ)は勉強の内容にあるのではない。それぞれの夫婦が一週間以上、みっちり一緒に過ごすことが重要なのだ。普通なら複数の夫婦で旅行に出かけても男は仕事、女は家庭の話と話題が分かれてしまう。これではただ夫婦で招いても新味は出ない。とにかく男女双方が同様に興味を持って話ができるテーマを設定して、共通の話題を提供するように気を配った。
 ゲストとして招いた何人もの奥さんが「ようやく夫と過ごす時間ができた」と言ってくれたが、これこそ私の狙いで、奥さんのネスレに対するイメージは相当上がったと思う。」
(日本経済新聞 1998.8.15)


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