私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

大衆に喜ばれるものを

 中山は、音響会社「ミノルフォン」(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)のほか、十数社の「太平グループ」代表としても知られている。
 明治33年(1900)、岡山県に生まれた中山は、高等小学校を出て、苦学しながら関西大学を卒業するが、1年後の昭和5年(1930)に「関西電話建物会社」を設立する。
 創立後5年、経営は軌道に乗り、学生時代、一杯の素うどんで夕食をすませていた彼は、月給700円の経営者となる。しかし、経験不足のため会社を乗っ取られ、終戦を迎える。
 駐留軍相手の「みやげもの屋」やシイタケ栽培を手掛けたあと、昭和25年(1950)に再び月賦住宅販売の太平洋住宅を創業し、成功する。
 その後彼は、大成火災保険、太平ビルサービス、太平観光、太平音響(のちのミノルフォン)など、太平グループを育て上げた。
 大きな資金を持って商売を始めたわけではない彼の、商売に対する姿勢は、「資本のかからない商売をする」ことがモットーだった。
 商売というものは、時代の移り変わり、国際、国内情勢の変化を見ながら工夫していけば、次から次へと生まれてくるものだという考えである。
「ヒントは生活の中にある」として、仕事を成功させる原則を次のように披瀝している。
「その基本は、まず、大衆に喜ばれるもの、時代の要求を反映したものはなにか、と考えることである。そして、次に商品がかさばらないで、重くないこと、すなわち、カタログで商売できることである。次に、できる限り大ぜいの人の協力を得ることである。自分ひとりでやっても、それは一つの『力』にはならないことを知っておくべきである。そしてこの際、自分だけいい目を見ようとはせずに、協力者と共存共栄をはからねばならない。
 この原則を守れば、必ず、仕事は成功する。『自分には資金がないから……』と言って、あきらめてはだめだ。金のない者にとっても、金を得る道はある。それは頭だ。私が育った時代に比べれば、世の中に流動性はなくなった。しかし、頭の使いかた、アイデアしだいで、これからでも一つの商売を生み出すことはできる。新奇な商売、だれも気づかない商売を考え出すことが、金のない者が金を得る道である。そのヒントは生活の中にある」(『私の履歴書』経済人十巻 37p)
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「商売のネタ」について総括すると、中山の「商売ネタのヒントは生活の中にある」という言葉は、当たり前ですがドキリとさせられます。
コロンブスの卵かもしれませんが、グリコの江崎と同様、日常生活を注意深く見つめ、五感を働かせて大衆が喜ぶものを見つけ出しています。


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