私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

働き一両、考え五両

 ハワイにコーヒー農園を取得した鳥羽は、コーヒーの全国フランチャイズ展開に初めて成功した人物である。
 昭和12年(1937)、埼玉県に生まれた鳥羽は、家庭の事情で高校を中退したため、16歳で社会に出る。見習いコック、バーテンダーなどを経験したあと、コーヒー店オーナーに見込まれ、19歳の店長として店を任されるようになる。
 20歳のとき、以前の勤め先の主人からブラジルのコーヒー農園に招かれ、単身渡航し、農園の現場監督として現地の労働者と共に汗を流して働いた。
 コーヒーの本場ブラジルで学び、生活したことが体の中に染み込み、何ものにも替え難い財産になったという。この経験が、コーヒーの選別、品質、焙煎、コーヒー農場経営への成功に導くことになる。
 彼はブラジル修業のあと、世界一周後に帰国。昭和37年(1962)ドトールコーヒーを創業し、全国にコーヒチェーンをフランチャイズ展開して産業化に成功した。
 彼は学歴がなく、若くして経営者になったため、かえって尊敬する年長の経営者からのいろいろな助言を真摯に受け止めることができた。その一つが「長の一念」という言葉だった。
「課なら課長、部なら部長、社なら社長であるが、長として上に立つ人の一念によって環境がすべて変わる。問題は社員ではなく、トップにある社長にある」と悟ったのだ。
 そこで、自分が納得する「言葉」や「格言」を色紙に書いて「自分の考えを共有化」するため、会社に張り出すのを習慣とした。彼はその心構えの原点を、次のように語っている。
「ある時、ゴルフをしているとコースの途中になぜか石碑があり、『働き一両、考え五両』と彫ってあった。私は『はっ』と立ち止まった。凄い言葉だと思い、記憶に留めた。考えとはアイデアのことだと私は理解した。
 一の努力は一の成果しか生まないが、アイデアを持って一の努力をすれば五の成果が出る。世の中には努力する人や一生懸命な人はゴマンといる。アイデアを持って努力しなければいけないと痛感した。私はこの言葉を非常に気に入り、紙に印刷し工場や本社に貼った」(「日本経済新聞」2009.2.26)
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この「働き一両、考え五両」という言葉は、山種証券の創始者・山崎種二が祖父から教えられ、実行したとも巷間に聞きます。
 山崎は自分で考え出した相場観測で、米の売り方に成功します。何事も他人からの知識の蓄積だけではだめで、それを生かす本人の知恵と才覚が求められるています。


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