私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

仕事の気づき

「日本最高のホテル」として帝国ホテルの名を内外で高め、川奈ホテルなど国内有名ホテルの設立にも数多く関与し、日本のホテル業界の草分け的存在となった犬丸は、明治20年(1887)石川県に生まれた。
 彼は明治43年(1910)に東京高等商業学校を卒業するが、成績不良のため就職に苦労し、やむなく南満州鉄道経営の長春ヤマト・ホテルのボーイになる。
 しかし、自分の職業を蔑視する気が抜けず、数年後、出直す覚悟でロンドンに行き修行をするが、ここでもコックではなく窓ガラスふきが日課だった。彼は心中、悶々としていたものの、何をおいても就職することが先決であるため、不平を隠して勤務した。
 窓ガラスふきは汚れ仕事で、しかも危険が伴う。厨房で料理に手腕をふるいたいと熱望していた彼は、この仕事を半ば投げやりにやり続け、心はどんどん空虚になっていった。
 このホテルにはもう1人、窓ガラスふきがいた。すでに初老を過ぎた男で、毎日黙々と仕事に勤しんでいるかに見える。犬丸は心中、ひそかにこの男を軽蔑していた。
 しかしあるとき、犬丸が何気なく問いかけた仕事に対する質問への男の答えが、犬丸に仕事の神髄を悟らせた。

「『君は毎日このような仕事を続け、それをもって満足しているのか』。すると彼は黙って私を廊下へ導き、両側の窓をさして静か言った。
『イヌマル、双方を比べてみろ。拭えばきれいになり、きれいになれば、その一事をもって私はかぎりなき満足を覚える。自分はこの仕事を生涯の仕事として選んだことを少しも後悔していない』。
 私はこのことばを聞くに及んで、一瞬何かに深く打ちのめされたごとく感じた。豁然と悟りを開いた思いだった。実に職業に貴賎なし。なんたるりっぱな生活態度であろうか。私はこの時から窓ガラスふきを天職と心得て専念し、以後職場を変わっても一貫してその気持ちで働くことができるようになったのである」(『私の履歴書』経済人四巻 407p)

 この後、彼はホテル支配人に仕事ぶりを認められ、重用されるようになる。そしてロンドン、ニューヨークで修業し、大正8年(1919)帝国ホテルの副支配人となり、建築家ライト式建築の新館を完成させ、昭和20年(1945)には社長となった。
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 私はこのエピソードを読んだとき、太閤秀吉の草履取り時代を思い出しました。
 信長に仕えた藤吉郎が、冬の寒い日に主君の草履を懐で温めて出したという話です。与えられた職務を忠実に、誠意をもって務めれば、上司が「見どころのあるヤツ」と正しく評価し、一段上の仕事を与えて本人の力量を試すというのが経営者心理です。与えられた仕事を着実に成果を上げれば、次の一段上の仕事が待っています。
 人は、与えられた仕事ごとに全力で取り組む必要があります。


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