私にとって日経「私の履歴書」は人生の教科書です

交渉は相手の立場で

神谷は、トヨタを販売面から世界企業に育て上げ、「販売の神様」と称された人物である。
 明治31年(1898)、愛知県に生まれた神谷は、大正6年(1917)、名古屋市立商業高校を卒業して三井物産に入社し、シアトルやロンドン駐在員として7年間在職するが、同社の学歴偏重、閨閥尊重の風潮を嫌い、退職する。
 ロンドンで鉄鋼会社「神谷商事」を設立し、順調に業績を上げていたが、インドなど、現地での炭鉱者によるストライキなどで経営が一気に傾き、廃業して日本に帰国する。
 帰国後、英語に堪能であったことからアメリカの自動車会社のゼネラル・モーターズ(GM)の日本法人にスカウトされ、入社。しかし、昭和10年(1935)、豊田自動織機が自動車の生産に乗り出すため、同社社長・豊田喜一郎から入社を勧誘され、その熱意に動かされて、給与600万ドルのGM社から、報酬が5分の1の120万ドルになる豊田に転職する。
 自動車販売を任された彼はトヨタの全国販売網を構築し、「定価販売」「月賦販売」を取り入れるほか、「自動車教習所」など自動車を取り巻く環境整備にも功績を挙げた。
 神谷は昭和33年(1958)にアメリカを視察したとき、今後はGM、フォード、クライスラーのビッグスリーが、大型・中型車に加えてコンパクトカーに力を入れると予言した。
 その予言は見事的中し、間もなくビッグスリーがコンパクトカーに進出したため、日本の輸出車は市場競争に敗れてしまう。神谷はそのときの予言的中の極意を次のように述べている。
「これは、何もわたくしが、特別な勘や才能をもっているからできたわけではない。相手の立場に立って物事を考え、判断する、というわたくしの思考パターンから思い当った発想であったに過ぎない。(中略)。
 ところで、こうした物の考え方は、単にビジネス社会におけるのみならず、実社会においても有用であるように思えてならない。実社会には折衝を必要とする機会も多い。交渉の場に臨んで一方的な主義主張を押しとおそうとすれば、対立が対立を呼ぶ結果に終るに違いない。わたくしは、そのようなおそれがあるときには、もし自分が相手の立場にあったら『わたくしがいま行なっている主張をどう受けとめるであろうか』と自問自答することにしている。そうしてみると、それまで気がつかなかった考え方が生まれ、案外、思わぬ解決の糸口が見い出せるものだ」(『私の履歴書』経済人十五巻 433p)
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交渉ごとは、自分中心や会社都合の利点をアピールして進めがちですが、相手の立場を考えて共存共栄の精神で提案しなければ成功しません。


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