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江崎はいわゆる「オマケ商法」の先駆者だが、オモチャ屋と冷やかされながらも創意工夫のオマケ商法で、大阪を中心とした関西圏でグリコ事業を軌道に乗せた。
明治15年(1882)、佐賀県は佐賀平野の片田舎で生まれた江崎は、明治30年(1897)に高等小学校を出ると、すぐに実家の薬種商を継ぐことになる。
朝飯前の塩売りから登記代書と次々と働き、19歳のとき、亡くなった父親の借金を完済した商才をもつ。
大正4年(1915)、佐賀の町を歩いていると、買い集めた空き瓶を忙しそうに荷造りしている光景に出会う。その理由を訊ねると、その空き瓶に中身を詰め替えて、二度も三度も利用するのだという。ビールの空き瓶が多いが、ぶどう酒も増加傾向にあったため、商売のヒントをここで掴む。
「そうだ! ぶどう酒の大樽を仕入れて、小さい瓶に詰め替えて売れば、必ず儲かるに違いない」と考え、彼は自分で扱うクスリのうち、栄養強壮剤などに代わってぶどう酒を売り出し、成功する。
続いてグリコキャラメルを「一粒三百メートル」のキャッチフレーズで販売し、大成功する。戦後、アーモンドチョコ、ワンタッチカレーで急成長し、オマケ商法の先駆者としても有名になる。
江崎は、商売のネタ探しの極意を次のように語っている。
「アタマとマナコの働かせ次第で、商売というものの妙味がいかに無尽であるかをつくづくと感じさせられた。それからというものは、目、耳、頭、手足をゆだんなく働かせるようになり、周囲の物事に対しいっそうの注意力、観察力を傾けた」(『私の履歴書』経済人七巻 154p)
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営業マンだった私は、お得意さんの望むものを探すことによって接し方が変わり、提案内容も違ってくることに気がつきました。
それは、五感を働かせてお得先やこれから交渉する人の情報や価値観をよく調べ、その人が大切にしている仕事、専門、趣味、家族などを中心に話題を持ち込むと、容易にこちらを受け入れてくれるということです。
これにより、商売のネタも仕事のネタも五感を働かせて、周囲や相手を注意深く観察することだ、と思ったのです。